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日露戦後の札幌神社

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 日露戦後の札幌神社では、戊申詔書奉読祭が明治四十二年五月二十三日、札幌神社の神殿で行われ、衆議院議員東武、東北帝国大学教授南鷹次郎、拓殖銀行頭取美濃部俊吉札幌神社宮司額賀大直らの講演会が引き続き行われた(北タイ 明42・5・19、25)。四十一年九月一日には、札幌神社鎮座四〇年祭が執り行われた(北タイ 明42・8・31)。
 三十四年九月一日の失火で焼失した札幌神社の遙拝所は、四十三年十一月三日天長節を期し頓宮と改称し、札幌神社旧拝殿の古材の払い下げをうけて落成した(北海道神宮史 上巻、北タイ 明43・11・3、札幌神社頓宮沿革史)。頓宮は、札幌神社の御旅所としての機能をになうとともに、十一月三日を例祭とするなど地域の信仰の対象となってゆく。たとえば『北海タイムス』(大3・1・3)「神社詣り」には「例年本社にだけ赴くもの五千人を下らず、頓宮はその倍にも達するさう」とあり、南二条東三丁目という市街地に隣接した頓宮と札幌区民とのつながりがうかがわれる。
 国家的行事については、四十五年七月三十日の明治天皇の死去まで、連日札幌神社で平癒祈禱が行われたし、翌年には明治天皇御一年祭として大祓式がなされた(北タイ 明45・7・28~8・4、大2・8・1)。また大正三年九月一日、第一次世界大戦への宣戦奉告祭に、札幌神社へと勅使が参向した。