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稲荷神社

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 藻岩村(円山町、昭和十六年四月より札幌市)の稲荷神社は、微妙な性格の変化をみせてきた神社であった。藻岩村にはすでに官幣大社である札幌神社があり、村内の円山地区は札幌神社の氏子という意識が強く稲荷神社とは疎遠であり、稲荷神社は当初には伏見地区の鎮守神とされていた。大正十一年に伏見が山鼻の第一四祭典区に加入したことにより、九月九日の例祭は第一四祭典区で実行することとなる。山鼻には官社が存在しなかったので、稲荷神社は一方では山鼻地区全体の鎮守神の性格を有することとなる。その後、札幌神社北海道総鎮守と強調されるにつれ、一村一社の関係から稲荷神社が藻岩村の「村社」となっていくのである。昭和十年の「藻岩村勢一班」より稲荷神社の氏子数を「藻岩村全部及札幌市ノ一部」と記すようになるので、この頃が「村社」化の時期であったとみられる。昭和十一年の昭和天皇行幸に際して藻岩村では、
九月九日午前十一時三十分、村社稲荷神社ニ於テ行幸奉告祭ヲ執行。九月二十四日午後二時、村社稲荷神社ニ於テ行幸御安泰祈願祭執行。十月十二日午後三時三十分、村社稲荷神社ニ於テ還幸奉告祭ヲ執行。

という具合に行幸奉告祭、行幸御安泰祈願祭、還幸奉告祭が執行されており、村が関与する公的祭祀が稲荷神社で行われるようになっているのである。
 このような「村社」化の趨勢を受けて稲荷神社では、郷社への社格昇進を図るようになる。昇格運動は昭和九年から開始されるが、これは藻岩村の発展とも関係をもち、昇格は「国民精神作興のために必要」であり、実現は「地方の発展は勿論、農村青年子女の精神界に及ぼす影響大なり」と期待されていた(北タイ 昭9・11・14)。しかしながら藻岩村の財政窮乏などもあって昇格の前提となる社殿の改築も進まなかったが、皇紀二六〇〇年記念事業として昭和十五年二月十五日に郷社昇格の申請を行った。その理由については以下のように述べられている(神社ニ関スル重要書類)。
大正八年八月五日内務大臣ヨリ村社ニ列格セラル。爾来規定ノ祭祀公式ハ勿論月次祭、国運隆昌・武運長久祈願祭等鄭重ニ執行シ来リシカバ、尊崇者日ニ増加シ氏子三千百十二戸、崇敬者七千戸ニ達シ頗ル隆盛ヲ極ム。又神社財産既ニ完成シ郷社トシテ維持上毫モ支障ナキニ至レルヲ以テ、恰モ本年ハ皇紀二千六百年ヲ迎フルニ当リ、之カ記念トシ本神社ヲ郷社ニ御昇格申上ゲ、永ク福利ヲ祈願シ益々尊崇ヲ厚フセントスルモノニシテ、茲ニ氏子一同念願致居ル次第ニ候也。

 ここでは大正八年の村社列格以来、氏子、崇敬者が増加したことを主な理由とし、皇紀二六〇〇年記念事業として申請したことを述べていた。この時期にすでに円山町となり札幌市の郊外都市としてめざましい発展をしていたが、稲荷神社も「町社」としてのふさわしい社格を求めて郷社昇格の申請をしたようである。ただ社殿の改築に関しては、「年経テ腐朽其ノ極ニ達セリ。今次時局終了後適当ノ時期ヲ待チ御造営計画セントス」として見送られていた。郷社昇格は翌十六年三月二十六日に認可となり、四月三日に昇格奉告祭が行われた。ただし、間もなく円山町札幌市へ合併となったことにより「町社」の地位を失うこととなる。