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天理教

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 天理教では横の連絡組織として北海道教友会がつくられ、昭和二年八月二十七日に発会式が行われていた。同会は道内に一九支部を設置しており、九月二十八日には札幌支部の発会式も行われ、支部長には藤田好助(夕張分教会)が就任していた。天理教札幌聯合会では機関誌として『一條』を発刊していたが(第一号は大正十五年六月の刊行で、昭和二年四月まで六号を刊行)、その後『一條』は北海道教友会の機関誌となって刊行され、札幌聯合会は札幌支部に改組となっている。
 昭和二年十一月十一日に、天理教青年会の創立一〇周年記念の北海道大会が札幌にて開催(新聞確認)され、三年九月六日には御大典記念の天理教北海道地方大会が大通西五丁目にて、大会長に管長の中山正善を迎えて開催されている。本大会は「国家の盛典を奉祝記念し且つ此機会に於て更に同教徒の至誠奉公の信念向上を謀り、同教の使命を完うせんとする」ことにあった(北タイ 昭3・8・26)。この大会には全道から約二万人もの信徒が参加し、「本道始まって以来始めて見る宗教的集会」とされるほど大規模なものであった。大会での「宣言」には、
本教は立教以来、正純なる国家観念の下に誠実なる奉公を致し来れるは、本教の歴史之を明示して何等疑ふべき所なし。然るに近時本教の真精神を誤解して、其の発達を阻害せんが為に妄動するものあるは甚だ遺憾とする所なり。(中略)則ち立ちて妄を弁ずると共に本教の真髄を堂々天下に説き、一列救済の実を挙げざるべからず。加之思想国難の声高き今日愈益々教祖の遺訓に則り健全なる国民思想の鼓吹に懸命の努力をなすべきは本教徒の使命なりと信ず。茲に今秋行はせらるゝ国家無上の盛典なる御即位の大礼を奉祝記念すると共に、皇上に対し奉りては至誠の奉公を致し、堅実なる国家観念を涵養し以て教祖立教の真義を実現せんことを期し、左の決議をなす。

とし、「決議」では①「各地方的に社会教化に努力すること」、②「国家を毒する思想の殲滅を期すること」、③「海外伝道の促進を図」ることなどの三項が上げられていた(北タイ 昭3・9・7夕)。この頃全道の信徒は七万七四八〇人、札幌市には五九五六人の信徒がいたという(北タイ 昭3・9・6)。
 天理教では昭和七年五月十八、十九日に「ひのきしんデー」を設定して社会奉仕に力を尽くしていくが、北海道教友会札幌支部では、この年に中島公園の池堀工事、十一年は札幌護国神社付近の地均し工事、十四年は大通公園の清掃と整備というように奉仕活動を続けていた。

写真-14 円山公園の池造成に励むひのきしんの様子