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函館、小樽区の問題

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 北海道区制が持つ道庁権限の大きさ、区自治の弱さから生じる問題は、札幌と同時に区制を施行した函館、小樽も抱えていた。大正八年における道会の議論からそれをうかがうことにしよう。
 小樽区では、中学校と女学校校舎増築にからみ、道庁から一万円の寄付を条件に建築するとの内示があった。そこで区会が寄付を決定したにもかかわらず、道庁は中学校のみの増築しか予算化せず、区には全く経緯の説明がない。「監督官庁デアル所ノ吾々(道庁)ガ為ス事ハ、下級団体(小樽区)ニ於テハ反抗ハシナイ、唯々諾々トシテ承諾スルデアラウ、別段異議ハアルマイト云フ高ヲ括」(同前 第一九回通常会)った姿勢に批判が集まった。さらに小樽運河の設計変更でも、区会決議を道庁が受け入れようとせず、「上級ノ自治団体デアル道ガ、下級自治団体デアル区町村ニ対スル態度如何」(同前)が問われた。
 函館区会もまた不満であった。区会で選出した函館区長候補者は、道庁が「執ラレマシタル行動及法律ノ解釈、並ニ長官ガ其ノ際執ラレタリト称スル行動」によって、「三箇月余ニ亘リマシテ、御裁可ナクシテ、(区長)空位ノ儘ニ打捨テラレ」た。これは道庁の意向に沿わぬ区長選出に対する介入でないかと疑われたが、道会答弁で道庁長官は「此ノ種ノ問題ハ道会ニ於テ質問応答スベキモノデアルカ否カト云フコトハ疑問デアル」と言い、さらに「一々此処デ以テ説明シタナラバ、日モ尚足ラヌコトデアルト思ヒマス。ソレデアリマスカラ、爾ウ云フ事ニ対シテハ、別段ニ答弁スル必要ノ無イモノ」(同前)との態度に終始した。ここにも区制下の自治権の弱さ、限界が示されている。
 札幌区のみならず、函館、小樽も自治権に関わり道庁の監督権が障害になっていることは明らかであるが、三区が協力一致し、道庁や内務省にその解決を求めようとはしなかった。そうした行動を可能にする横のつながりを欠いていたのである。函館区選出の道会議員は豊平川治水工事にからみ、札幌区を評し道庁の「御膝下ニ近イ方ガ馬鹿ニ聡明デアル、エライ念ガ入ッテ居ル……豊平川ノ如キハ札幌区デ負担スルノガ当然」(同前 第一三回通常会)と言い、おまけに道庁の経費に頼り豊平川護岸工事をしようという札幌区民の顔は見たくない、ヤクザ人間だ、田地田畑より生命は軽いといった放言に及んで、議事録から発言が削除されることさえあった。また、函館にある控訴院を札幌に移転させる問題でも両区は争い(市史 第三巻九一頁)、伝統ある地位を誇りとする函館区が、札幌と対等な立場で道庁と対応する状況になかったといえよう。
 小樽区とも似た状況がある。たとえば貯金局誘致を小樽と争った札幌区長は、「北海道全体を総括すべき官衙は須く札幌区に設置するのは当然」との立場から、「貯金支局問題に就き、小樽が札幌と競争しつゝある事は、倶に札幌北海道の政治中心である事を認めない所為」(北タイ 大5・1・1)と決めつけてみたものの、札幌を完全に経済圏に組み入れている小樽区は一歩も譲らず、実力をもって札幌設置を阻止した。
 札幌区が国、道庁と協調し、北海道の拓殖政策の推進をはかろうとすればするほど、道内区町村から札幌区への批判が増大した。医科大学問題で地方費(道費)に一〇万円の設置経費が計上されると、道民の税金による札幌助長と誤解され、他地域選出議員の反発を招くありさまだった。札幌区が一〇〇万円の資金納付を決議し、その一策として国有地の払下げ宅地化を計画すると、衆議院議員東武は「是は体のよい名目の下に、百万円からの物を貰って何十万円の差金を儲けようと云ふ野心である」と決めつけ、区長が苦心の末財界から大口寄付の約束を取りつけると、「先づ体裁の宣い物貰」(北タイ 大6・9・5)と嘲笑した。こうした中で、札幌区政の主体性確保の努力は続くが、自治権拡張に同じ問題を抱える三区が連携し、共通の目標を掲げるのは難しかった。