ビューア該当ページ

区制改正建議

38 ~ 40 / 1147ページ
 区の自治権拡張は、本州府県における市と同等の地位を求めることであり、市制札幌区に適用してほしいという願いにほかならない。函館、小樽区も同じ願いを持ちながら、三区の連携による働きかけができない以上、運動主体を他に求めなければならなかった。その一つは北海道会であり、もう一つは政党を通した働きかけである。まず道会の動きを見ることにしよう。
 三区に続いて、大正三年旭川区、七年室蘭区が成立し、さらに釧路町が区制を施行しようとしていた。道会の論議を通して、市制を求める運動を積極的に展開し得たのはこれらの区(町)で、釧路町は区制施行以前に「市制ノ実施ヲ望ム」(北海道会議事速記録 第一九回通常会)ありさまだった。大正六年の第一七回道会に友田文次郎(旭川区選出)、楢崎平太郎(室蘭支庁選出)等八議員による「北海道区制改正ニ関スル件」が第七四号建議案として提出されたのも、そのあらわれである。提出者に札幌区選出の阿由葉宗三郎、賛成者六名中に丸山浪弥(後志支庁選出のち札幌市議)が加わっている。これは道会で可決され内務大臣と道庁長官に送られたが、その要望は次の点にあった。
(1)北海道区制を改正し、区の呼び名を市と変更し、北海道市制とする。
(2)区制第六条中、「公判ニ付セラレタルトキ」公民権を失うという規定を、市制と同じく「刑ノ宣告ヲ受ケタルトキ」と改正する。
 改正の理由として、北海道の区は「府県ノ市制施行地ニ比シ敢テ遜色ナキ」までに発達しているにもかかわらず、「府県ニ於テ、市ノ下ニ在ル区ト同一程度ニ誤認セラレ、其ノ首長ノ如キモ自ラ外界ノ軽視ヲ受ケ、惹テ万般ノ対外的関係ニ影響スル所少カラス」、さらに第六条は「法制上ノ不用意ニ基クモノニシテ、彼我ノ権衡ヲ失スルコト甚タシキ」(同前 第一七回通常会)ことをあげている。すなわち、この建議は区を市と呼び変えるだけで、区の自治権拡張に踏み込んだものではなかったが、その後これが市制を求める道民の意思表示としての役割を果たしていくことに注目したい。
 このような、大正五年から八年へかけての動きを受けて、道庁はどう対処したのだろうか。「北海道市制案(北海道区制改正草案)」はその検討結果とみてよいだろう。北海道市制案は七章、一一八条の区制を市制と逐条対照し、削除付加したもので、ほぼ全文にわたり修正がみられるが、あくまでも勅令による北海道区制の枠付けを崩すものではない。主要な点を列記しておこう。
(1)区を市と改正し、その区域等については区制をほぼ踏襲し、勅令によることを前提としている。
(2)公民権は市制に基づき、なお区制の意図を活かし「耕地一町歩、宅地五十坪以上ヲ所有スル者」を加え、選挙、被選挙権についても市制の条文を入れる。
(3)条例、規則に関しては区制のまま。
(4)市長を市制のように市の代表者とはせず、担任概目も区制を踏襲する。
(5)議会については市制に近づく改正が多く、六年任期半数改選を市制同様に四年任期全員改選に改めているが、人数に差がある。
(6)市会の議決事項は区制同様に制限列挙式で、市制の例示式になっていないが、議長副議長は議員から選出することができる。
(7)内務大臣、道庁長官の監督権は市制をもとに整理したが、特に道庁長官の権限は区制同様に強い。
(8)大正六年道会建議第六条は修正をせず、区制のまま。