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札幌市の町村合併計画

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 札幌市では、札幌村に続いて接続町村の併合計画をその後も進めていった。昭和十年二月十三日付の「接続町村を合併し大札幌市を建設―橋本市長秘に折衝―」と題した『北海タイムス』の報道によると、
市では昨年来都市計画吏員を右接続町村に派して実地調査を行はしめると共に、一方橋本〔正治〕市長は豊平、藻岩、白石町村長等と秘かに右問題に関して種々折衝を進めてゐたが、大体諒解を得たので愈市長は今予算市会に諮り、その上準備委員会を設けて改めて具体的に折衝を開始し、明年度中には何とか目鼻をつけんものと大乗気である。

とされ、札幌市は十一年度中の実現をめざして着手していく。事実、「附近町村発展ノ実情ニ稽へ市域拡張ノ機運漸ク熟セル」(昭和十年札幌市事務報告)ことにより、十年三月に市会に一三人で構成する臨時市域変更調査委員会が設置されて調査が進められていくし、「之カ実現ヲ見ル必スシモ遠キニアラサルヘキヲ信ス」とされ、早期実現には楽観的な見通しを持っていたようである。
 臨時市域変更調査委員会が設置され札幌市の併合計画も公に報道されると、近隣の町村にも少なからず影響を及ぼすこととなった。まず白石村では、編入区域外となっていた横町の住民が、「横町は市と共に発展するの機運を逸するのみならず道路網、施設等に就ても不便不利少なからざる次第にて遺憾の至りに候」と、併せて札幌市への編入を陳情していた(北タイ 昭10・3・2)。藻岩村では六月五日の村会議員選挙にも、合併につき急進論と漸進論が選挙争点となっており、村民の関心も高くなっていた。
 豊平町藻岩村白石村を対象とした併合計画はその後進展をみせ、札幌市では十一月に最後の臨時市域変更調査委員会をもち、そのあとで「三町村へ編入交渉を開始する」とされていたが(北タイ 昭10・10・13)、結論はもちこされ、やがて十一年十二月に設置となった特別調査委員会に付されることなった。だが、十一年六月に地方財政調整制度となる臨時町村財政補給金規則が公布となり、
税制改革案ノ帰趨ニ伴フ財政上ノ影響ヲ考慮シ該改革案ノ如何ニ依リ更ニ検討ヲ重ヌルノ適当ナルヲ思ヒ、暫ク之カ事案ノ進行ヲ差控フルコトト為セリ。

と、計画は一時中止を余儀なくされていた(昭和十一年札幌市事務報告)。
 一方、当時民間でも町村併合を求める声は強く、たとえば十一年九月二十五日に創設された札幌市豊平町発展期成会では、隣接町村の合併促進を活動目標の一つとしていた(北タイ 昭11・9・29)。財政窮乏が続き、都市施設の整備が遅れていた藻岩村の村民には、「何等特別の恩典なき処に居住するより此際、幾分財産のある間に札市に併合して土木、教育、衛生等の諸設備を完備することが当を得たものである」との声は高かったという(北タイ 昭11・11・18)。
 しかし札幌市では、十四年十二月に至りこれまでの町村合併計画を白紙化することとなる。その詳しい理由は不明であるが、「今日まで執り来った経緯を全部白紙にもどしこれを断行する方針を以て理事者が隣接町村に折衝、その結果に基き具体的大綱を定めることとなり」とされ(北タイ 昭14・12・6)、さらに石狩町、朝里村の一部を含む大工業都市として港湾を設備した「遠大な計画」に基本修正することにした模様である。それでもその後、十五年四月から円山町との合併交渉が進められるようになる。