藻岩村は札幌市との合併問題、都市基盤事業の整備と村財政の悪化、古くからの村民と急増する新住民との軋轢などの問題を多く抱えていたが、佐藤正三郎の村長就任をめぐって亀裂の入った藻岩村議会はその後、混乱と政争の中に明け暮れることとなった。
昭和七年三月に、選挙名簿脱漏問題から円山村政改革村民大会が開かれ、村長不信任を決議する動きが起きていた(北タイ 昭7・3・16)。翌八年九月には学校地均し工事の入札問題より、藻岩村革政会が結成され、村理事者の辞任を求める村議の辞職者も出ていた(藻岩村革政会パンフレット 藻岩村学校敷地地均らし工事にからまる真相)。続いて九年にも争点が不明であるが二月四日に、再び一五〇人を集めて村理事者や村会議員の辞職を求める村政革新村民大会が開かれている(北タイ 昭9・2・7)。しかし佐藤正三郎は十年の改選に当たり、七月二十七日の議会にて一八票を得て再選されている。総数二三票でうち棄権は四であったが、無給の名誉職村長を求める議員が棄権に回っていた(昭和十年度藻岩村村会)。
しかしながら佐藤村長は十一年十一月にいたり、北一条通の舗装工事に関して受益者負担金、藻岩村における三万円の負担金、さらには工事補助金をめぐって札幌市と対立などが持ち上がって、問題は長期化し議会も紛糾を続けた。その結果、佐藤村長は十二年十月二十日の村会にて辞意を表明し、十二月六日に辞職した。後任には十三年一月十八日に苫小牧町長であった飯田誠一が選出されている。飯田誠一は札幌及び小樽警察署長、根室支庁長、小樽区助役、帯広町長を歴任した経歴をもち、町制の施行、札幌市との合併などの懸案問題を解決することになる。