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琴似村と町制の施行

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 琴似村は琴似、新琴似、篠路の三兵村を抱える難治村であったが、清水凉が村長に就任以来、一転して優良村の道を歩むことになる。大正十二年四月に一級町村制の施行を迎えたが、翌十三年には琴似兵村の開村五〇年記念に当たっており、盛大な記念行事が計画された。記念塔と記念館の建設、資料の収集と沿革史(琴似兵村誌)の発刊などであったが、記念塔は十三年九月五日に除幕式が行われている。

写真-9 大正13年,琴似村開村50周年に建設された記念塔と記念館

 清水村長の村政の方針は、「村是の確立と一元的運営の上から各兵村の部落有財産を村の基本財産に編入し、従来の各部落特有の慣習を解消させ」ようとしたものであったという。しかし反対意見もあってまとまらず、次に部落有財産を資金化し公共事業にふりむけることに合意をみた。この結果、新琴似兵村では小学校の移転・改築、神社の改築、公会堂・教員住宅・巡査駐在所・村医住宅・道路の改修、篠路兵村では土功組合工事費への助成、小学校・教員住宅の建築、神社の造営、琴似兵村では小学校敷地の拡張、校舎の増築などに充当し、村財政の負担軽減につとめられることになったという(清水凉 在職中の感想)。部落有財産管理制度は十八年三月に廃止となるが、三兵村の部落有財産を活用したことが琴似村の財政と村政の安定をもたらしたようである。
 琴似村では昭和十七年二月十一日より町制を施行した。十六年で戸数は一九六八戸、人口は一万一二六六人、市街戸数は八〇〇戸に及び町制施行の条件が整ったために、施行が認可となったものである。清水町長は十八年五月三十日で退職したが、後任はなかなか決まらなかった。八月十四日の報道でも「琴似町の如く七十余日を経るも未だ後任町長の見透しつかざる状況であって、決戦下陣頭指揮を要請される町村長の欠員は甚だ時局に副はざるもの」とされ、石狩支庁でも早急の選出を要望していた(北タイ 昭18・8・14)。十九年二月に至りやっと当時、北海道農会長であった安孫子孝次が選出された。

写真-10 琴似町(村)長の清水凉(左)と安孫子孝次(右)

 安孫子孝次は琴似兵村に入植した倫彦の長男で、東北帝国大学農科大学を卒業後、北海道農事試験場北見分場長、渡島支場長を経て琴似の本場種芸部主任、場長を歴任し、十五年二月六日に退任した後、十六年十二月に北海道農会長、貴族院の勅選議員に選ばれていた。こうして琴似町でも初めて地元出身の町長をもつことになったのである(安孫子町長は二十一年三月まで在任)。