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町内会の形成

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 以上の振興組織とは別に現在の町内会組織に近い、地区の親睦・福祉とコミュニティ・交流機関としての役割に重きを置いた町内会的な住民組織もみられてくるようになる。その主なものとしては、以下の辛酉会東興会東北親和会などがある。
 辛酉会(会長・阿由葉宗三郎)は、大通西一四丁目以西の薮合名会社の特設家屋の住民によって大正十年一月に創設された。目的は「建国の精神を体し隣保共助、社会奉仕の実を挙げる」とされており、目的達成のために以下の五項の「実践躬行」が決められていた。
(一)皇室を尊重し祖先を崇拝する事。
(二)公私の徳性を涵養し至誠温情を以て吉凶相慶弔し真摯なる交際を為す事。
(三)公課公税の納期を厳守し公私の会合に於て時間を励行する事。
(四)火防、衛生の思想を涵養し之れが実行を期する事。
(五)教育、慈善及び実費診療所、購買組合、其他生活改善に関する事項は漸を追ひ施設経営し、其達成に向かって努力する事。

 辛酉会では毎月、講演と余興からなる月次例会を開き、十年四月の例会では第四六火災予防組合設立のことを協議しているから、同会は火防区を地域割とする範囲であった。
 東興会は第三四火防区(北一・大通東四~七)にて大正十四年一月二十日に、「会員相互の親睦を敦くし兼て町内の発達向上に努力する」の目的で創設された。毎月一回の例会、年二回の総会を開き、ともに講演・余興が行われていた。月々の例会を開いている組織は珍しく、これも懇親と娯楽・慰安の提供が重視されていたためとみられる。同会の活動は昭和十二年まで確認できる。
 東北親和会は第三六火防区にて昭和三年五月二日に、「相互の親睦と町内の平和とを旨とし共存共栄の実を確保し、兼ねて自治的精神を涵養する機関」として創設されている。事業として①会員及び家族の吉凶禍福の慶弔、②会員及び家族の慰安、③講演会、④必要と認めたる諸問題の調査研究及び実行の四項となっている。
 以上の三会に共通していることは、まず地区住民の懇親と慶弔が趣旨とされていることである。地域振興や施設整備などの活動目標は掲げてはおらず、当初より地域交流と扶助の方が目的とされていた。このことはこれらの組織が、四から八町分の狭い火防区を組織範囲とされたことにも関連をもち、それだけ地域交流が重視されて現在の町内会に近い性格をみせているのである。
 この他にも、より地区が限定された町内会的な組織としては、昭和三年二月一日に南大通・南一条西一九丁目に十九丁目会(会長・小川直吉)、三月二十一日に西一八丁目に西札幌町内会が創設されている。西札幌町内会は「衛生火防、其他自治体諸般の設備等に関し相談機関の必要」と、町内親睦のために創設されており、家庭生活、住民の社会生活に密着した活動目標があげられている。また「町内会」と称した点にも注目できる。町内会を称した組織の初見は、大正五年の南一条西二丁目の南一条町内会であるが、狸小路では大正十一年に一丁目から五丁目にそれぞれ丁目会が創設されており、その他にも昭和十四年七月に南二条西七丁目に南二七会(会長・長谷川與次郎)がつくられ、南二条東四丁目町内会も存在が知られている(北タイ 昭12・1・13)。中心部にはこのような丁目を単位地区とした住民組織・町内会が広く組織されていたであろう。白石町では昭和十三年二月十五日に、白石町内会聯合会が創設されており(北タイ 昭13・2・15)、聯合会組織もみられるようになっている。
 この時期にはその他にも、南一条西一丁目から四丁目間の有志により大正十二年に組織され、商店会的な性格をもつ南一条興振会(会長・古谷辰四郎)、豊平町及び南三、四条東一丁目の細民地区の生活向上、居住地の改善を目的に同地区内の住民により大正九年六月に創設された、慈善・福祉団体の性格をもつ豊平共済会などさまざまな住民組織もみられていた。
 市外でも琴似村には大正十四年九月に、停車場通の「積極的発展策を講ずる」本町会が創設されており(北タイ 大14・9・20)、諸町村の市街地には部・区などの公的行政組織とは別な住民組織がつくられていた可能性がある。