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警察署の設置

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 本市史前巻において警察業務について取り扱っていないので、ここに市制施行に至るまでのそれらの大略をまず述べたい。
 明治初年、札幌本府建設に着手した当初はまだ警察制度が定まらず、しばらくの間は行政機構の中でその業務が分掌されていた。すなわち明治三年四月開拓使の銭箱仮役所が小樽に移ったのを機会に分掌改正がなされて刑法掛が新設され、ここで担当したが、四年五月に札幌開拓使庁が置かれると、刑法掛がそのまま札幌に移され、これが札幌における警察組織の起源となった。開港場である函館ではいち早く酒田県士卒を五〇人招募して邏卒を編成していたので、札幌詰判官岩村通俊はその一部を札幌に派遣してくれるよう依頼し、五年七月到着を待って御用掛一人、伍長二人、卒一八人の計二一人で札幌邏卒を編成し、創成通二番官邸を仮本営とし、薄野に分営を置いた。その設置が正式に認められたのは九月十八日のことである。
 六年六月の機構改正で刑法局ができると、その一課として警邏課が置かれ、酒田県士族二〇人をさらに招募して邏卒の充実をはかり、その所管は八年四月に民事局に移った。全国の警察制度の整備にあわせ、この年邏卒課を警察課とし、邏卒は巡査と改称、翌九年二月邏卒屯所を巡査屯所と呼び、さらに十年三月になって巡査屯所札幌警察署と改め、大通西三丁目角に庁舎を置いたのである。十三年、市内三カ所に交番所を設けるが、十五年に五カ所となり(薄野、南1西7、北3東2、創成橋畔、南5東3)、のち二カ所に減らし、また一カ所増置する等の変遷をたどった。
 道庁ができ支庁制度が整備されると、札幌支庁と警察署管轄地域の一体化がはかられ、明治後期は札幌警察署の管轄に石狩、厚田、浜益、江別の四分署をもち、市内に八派出所と近隣町村に一四の巡査駐在所を置いた。現市域内には豊平、月寒、白石、札幌、十軒、琴似、手稲、円山、真駒内に直轄巡査駐在所が設置されていた。なお警察署庁舎が中央区北一条西五丁目に新築されたのは、二度目の類焼後の明治四十一年である。
 大正期には労働運動、思想問題とともに伝染病予防法、トラホーム予防法等にかかわる防疫保健業務が警察の仕事として重要になり、大正七年の開道五十年記念北海道博覧会に際し、街路下水の清掃、火災予防、露店撤去、交通理容旅館業者の指導等にはたした札幌警察署の役割は大きかった。