時の近衛内閣は華北への五個師団派兵を決定、国民精神総動員計画を発表し、翌十三年には国家総動員法を成立させ、長期持久戦にのぞむことになった。戦時要員を得るため十四年三月に兵役法を改正し、海軍の予備役を四年から五年へ、後備役を七年に延長し、第一補充兵役の服役期間は陸軍一二年四カ月を一七年四カ月に、海軍一一年四カ月を一六年四カ月に延長した。あわせて短期現役兵制度を廃止し、在学徴集延期の期間を短縮、体格良好者の徴集優先、勤務演習日数の延長、第二補充兵の教育召集を行うことにした。その後十六年二月と十月の二度にわたり改正があり、現役兵の徴集が本籍主義から現在留地主義となり、後備兵役の名称削除、補充兵の教育召集期間延長、そして学生の徴集延期を短縮停止したのである。
こうした兵役法の改正点はもちろん札幌市にも適用されたが、昭和十二年以降徴兵検査の統計は公表されなかったため、市民の受検人数、現役兵、補充兵など徴集人数は明らかでない。全国統計によれば、昭和十年壮丁数六六万人弱で受検者が六三万人、その中から現役兵一三万四三三八人、補充兵一七万五二七九人が徴集されていたのが、十五年には壮丁数七〇万人に対し現役兵三二万八八一一人、補充兵一四万七二〇〇人が徴集になった(加藤陽子 徴兵制と近代日本)。こうした比率は札幌市でも同じであったと思われる。
札幌市の徴兵統計は明らかにならないが、日中戦争が始まった頃はまだ入営の様子が新聞に報道されていた。しかし、のちにはそれすら軍事秘密として記事が制限され、市民に知らされることはなくなった。日中開戦直後の昭和十三年歩兵二五聯隊への入営状況を次に紹介する。文中の〇〇は秘密として伏字にされた個所である。
月寒聯隊
老武者までが従軍血書の嘆願している戦時下の春、郷土の信頼を一身に担った札幌聯隊区管内代表壮丁〇〇〇名は、十日午前八時を期し歩兵二十五聯隊に入営、真新しい軍服もさっ爽、新兵としての第一日を迎へた。この日酷寒の北支に思ひを馳せるやうな寒さで入営にふさはしく、前日来市内の各宿舎に宿泊の壮丁は、未明起き出で冷水に身を浄めて、先づ皇居を遥拝して興奮をおし鎮め、地方生活最後の食事を済ませ、各市町村兵事主任や分会長、身寄りに付添はれて兵営に向ひ、一方札幌市の全壮丁は午前七時札幌招魂社前に集合、守護札をうけ護国の英霊に義勇奉公を誓ひ、祝入営の旗幟に送られて、創成分会ブラスバンドを先頭に隊伍も堂々と薄明を衝いて室蘭街道を行進、沿道は晴れの入営を祝して旗の波だ。営門は虚礼廃止と厳達された長旗も、今年はどうだ、戦捷の喜びをこめた幾百旒は軍国の春にはためき、付添は営外に万歳、万歳と打寄せ、緊張の壮丁は続々と入営して、札幌市を殿りに一名の不参もなく無事入営し終った。
横山聯隊長以下の各幹部は初めて見る部下を第二、第三の雨覆演習場に迎へ、聯隊長は慈愛とかつ厳粛なる訓示を与へ、壮丁は夫れより各中隊毎に班内に入る。キチンと整頓された軍隊生活の外面に接したのだ。そこには一年間を戦友として起居を共にする二年兵が真実の兄にもまして世話をやく。新らしい襦袢の上下、軍服を着せ、イガ栗頭に軍帽をかむせるとやっと板についた新兵だ。やがて医務室において再診断を了へ、正午炊事番が心をこめて作ったお頭付に赤飯という豪華なメニューに舌鼓みをうち、之を班窓から見入る付添者も天晴れな新兵姿に安堵の胸をなで下し引取ったが、初年兵は各中隊毎に御真影を拝し、午後二時より兵器や被服をうけ、やっと第一日の勤めを終り、初めての酒保や我友と語る夕刻時の一時も過ぎ、軍隊生活一日の便りを故郷にペンを執った。
九時、消灯ラッパは感傷こめて干城台に鳴り渡ると共に毛布にもぐり込み、入営第一夜の夢を結んだ。なほ十一日は午前十時から、初年兵は営庭において全員整列の上入隊式を挙行、北鎮精鋭の一員となり、猛烈なる訓練が開始されるのである。
老武者までが従軍血書の嘆願している戦時下の春、郷土の信頼を一身に担った札幌聯隊区管内代表壮丁〇〇〇名は、十日午前八時を期し歩兵二十五聯隊に入営、真新しい軍服もさっ爽、新兵としての第一日を迎へた。この日酷寒の北支に思ひを馳せるやうな寒さで入営にふさはしく、前日来市内の各宿舎に宿泊の壮丁は、未明起き出で冷水に身を浄めて、先づ皇居を遥拝して興奮をおし鎮め、地方生活最後の食事を済ませ、各市町村兵事主任や分会長、身寄りに付添はれて兵営に向ひ、一方札幌市の全壮丁は午前七時札幌招魂社前に集合、守護札をうけ護国の英霊に義勇奉公を誓ひ、祝入営の旗幟に送られて、創成分会ブラスバンドを先頭に隊伍も堂々と薄明を衝いて室蘭街道を行進、沿道は晴れの入営を祝して旗の波だ。営門は虚礼廃止と厳達された長旗も、今年はどうだ、戦捷の喜びをこめた幾百旒は軍国の春にはためき、付添は営外に万歳、万歳と打寄せ、緊張の壮丁は続々と入営して、札幌市を殿りに一名の不参もなく無事入営し終った。
横山聯隊長以下の各幹部は初めて見る部下を第二、第三の雨覆演習場に迎へ、聯隊長は慈愛とかつ厳粛なる訓示を与へ、壮丁は夫れより各中隊毎に班内に入る。キチンと整頓された軍隊生活の外面に接したのだ。そこには一年間を戦友として起居を共にする二年兵が真実の兄にもまして世話をやく。新らしい襦袢の上下、軍服を着せ、イガ栗頭に軍帽をかむせるとやっと板についた新兵だ。やがて医務室において再診断を了へ、正午炊事番が心をこめて作ったお頭付に赤飯という豪華なメニューに舌鼓みをうち、之を班窓から見入る付添者も天晴れな新兵姿に安堵の胸をなで下し引取ったが、初年兵は各中隊毎に御真影を拝し、午後二時より兵器や被服をうけ、やっと第一日の勤めを終り、初めての酒保や我友と語る夕刻時の一時も過ぎ、軍隊生活一日の便りを故郷にペンを執った。
九時、消灯ラッパは感傷こめて干城台に鳴り渡ると共に毛布にもぐり込み、入営第一夜の夢を結んだ。なほ十一日は午前十時から、初年兵は営庭において全員整列の上入隊式を挙行、北鎮精鋭の一員となり、猛烈なる訓練が開始されるのである。
(樽新 昭13・1・11)