大正十五年十月一日、都市計画法の姉妹法と位置づけられていた市街地建築物法が札幌にも適用された(勅令第一五四号、内務省令第一五号 官報第四一三七号 大15・6・9)。それを見越して札幌市でも街路網と地域制施行に関する調査に着手した。この市街地建築物法第一条により、都市計画区域内を性格分けし、都市計画地域の設定を行うことになる。
新聞の報道によると、都市計画地域の設定については、都市計画区域の調査終了後に調査が進められることになっていた。そのため高低調査、交通調査、街角の剪除、道路舗装、電車網設定、土地区画整理等の調査を行うことが必要であった(北タイ 大14・1・17)。十四年から都市計画係では、市内重要箇所に四〇の「ペンチマーク」を埋設し、四月の融雪期から行政区域内の高低測量を行い、九月には完全な図面を作成した。また、春夏秋冬の四回市内重要衝路一二カ所の交通調査を施行し、日の出から日没までの人車馬の交通状況を示す表を作成した(大正十四年札幌市事務報告)。そして昭和二年都市計画係では、地域設定の参考資料の調査と収集を終了した。三年には内案ができたが、まだ考えるべきところもあり慎重に考慮中であるとする。四年になると以前に集めた資料に異動が起こったため再調査を行った。そして主務省である内務省と打ち合わせて成案を決定し、都市計画北海道地方委員会へ送付する見込みであった。ところが五年には再び慎重に審議されている。六年には、二~四月には道庁都市計画課と協力して市内の建築物の用途別現況を調査して、作図した。そして五月、道庁都市計画課を通して内務省と協議し、意見の一致を見て、成案が近く決定することとなった。七年になると前年の協議で成案を得たので、資料の補遺を作成し、道庁都市計画課から内務省へ原案を送達し、近く地方委員会への諮問が予定された(以上各年の札幌市事務報告)。