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都市計画街路の調査

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 札幌市の都市計画係は、都市計画区域の調査終了後、都市計画地域の調査に入ったが、ほぼ同時に街路網調査と並行して行った。昭和二年(一九二七)には図面が大体完成した(昭和二年札幌市事務報告)。
 現在教育委員会文化資料室に『道路幅員図』という地図が所蔵されている。この図は、縮尺一万分の一、都市計画区域内の道路の道幅を一間~二〇間に色と線種で分けて図示しているもので、昭和二年八月札幌市役所調製、合資会社北海石版活版所印行となっている。この地図が街路網調査の際に作成された地図の可能性がある。
 昭和三年になると、街路網調査のための実測を開始した。三年は西四丁目線の北一条から北一〇条までの間の九〇〇間を行った。この時、同時に家屋補正の調査も行った。また調査上必要となる郡部計画内の切り図の謄写と整理が完成した。この時点で計画路線を二八路線と計画し、図上では大体の成案を得た。そして近く都市計画地方委員会と協議をする予定であった。
 四年にはさらに実測調査を実施した。計画予定路線二万五八三〇間の内、三年と四年合わせて六九九〇間の実測を終えた。計画予定路線二八線については、さらに実地調査の上、厳密な査定調査を加え大体成案として、上司と打ち合わせ後吏員を上京させて内務省と打ち合わせて成案とし、五年度中に製図を完成させる見込みであった。しかし五年になってさらに実測調査が行われ、六年にその実測調査が終了する予定であった。予定路線延長五万六四二〇間、五年中の市内分実測完了は一万四〇六九間で、前年度分と合わせて完了した分は二万一〇五九間、郡部は五年分は三万五一二間実測完了であった。大体の分については上司と協議済みであり、地域計画と共に内務省と打ち合わせて成案を作成する予定であった。
 六年実測調査を完了した。そこで三月道庁の都市計画課を通して内務省と協議し、ほぼ意見が一致した。しかし多少の路線の位置変更と追加が必要となり、九月初めに実測を開始し、十二月下旬には終了した。このような未解決分については、さらに内務省と協議を重ねて確定した。この年追加路線と比較線として調査をした分は九八〇〇間で、予定路線の長さは約六万六八〇〇間となった。
 七年になると実測を完了した街路網について、道路中心とそれに関連する基準石標一六二本を埋設した。この年も内務省と協議を重ねた結果、大体について意見の一致を見、一部未解決分について引き続き交渉することになり、成案を完成させることはできなかった。
 八年は道路網については目立った活動は見られず、札幌飛行場設置に伴って路線の一部変更が必要になったものについて実測調査を行った。
 九年になると、『札幌市事務報告』に街路網調査という項目がなくなり、「苗穂及元村町道路計画調査」「編入区域道路基線測量調査」「路面改良計画調査」「市内道路中心調査」などが関係項目として登場する。同様に十年は、「路面改良計画調査」、「旧札幌村道路計画調査」、そして「測量調査」が道路中心調査と街路網計画のための補正調査として実施された。
 都市計画街路は十一年に決定するが、その後の十二年になっても関連の実測平面図を作成提出する必要があり、調査を行った。その他街路網調査として十一年には、苗穂及び雁来町方面、十二年は藻岩村大字円山及び山鼻村の区域や石狩街道及び創成川通など、十三年は江別街道外二二線、十四年は広路一号大通外一七線、十五年は広路二号外一一線、十六年は広路四号外一四線など、その後も実測調査を継続して行っている(以上各年の札幌市事務報告)。
 以上の経過について『札幌市史 政治行政篇』では、昭和四、五年頃に第一次計画案、六、七年頃再調査して第二次計画案、そして八、九年頃に最終的な計画案を作成し、第二次案・最終案で内務省の指示により、再調査・訂正を行ったとしている。
 以上のように、関係当局とも調査研究を継続して内容の完璧を図ってきた街路計画は、十一年にようやく成案を得て、主要道路の新設と拡築の計画とともに、八月に道庁から内務省へ決定するための手続きが行われた。これについても内務省との協議の上一部変更をし、九月十六日都市計画北海道地方委員会に諮問されることになった(昭和十一年札幌市事務報告)。