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主要道路の除雪

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 前巻に記したように、大正七年までは札幌停車場通の除雪を区費で実行し、その後電気軌道会社に任せていた。また、街路の除雪は区民が行うことになっていたが、実際には十分に行われず、警察から注意を受けることがしばしばであった(たとえば北タイ 大7・1・13、15)。そのため、電気軌道会社に任せて札幌区では予算計上もしていないことが批判された(北タイ 大9・12・10)。また、除雪を十分に行わなかった電気軌道会社にも批判があり、札幌区、区会議員、札幌警察署などと協議の上、札幌区から費用の一部を負担して除雪の完全を図ることになった(北タイ 大10・1・9、10、11)。そのため札幌区では、一~三等に除雪路線を定めて除雪することにした。一等道路は「電車通り停車場より北一条元白木屋前迄四丁両側三間宛」等一〇路線で、積雪全部を除雪する。二等道路は「南二条より南五条通迄」等八路線で、踏みつけをする。三等道路は「北四条西十丁目より十三丁目迄」等五路線で、「スノーブル(注プラウのことか)を通過する」ものである(北タイ 大10・12・6)。そして札幌区街路除雪実行委員会を開き、十二月十二日から除雪の実行にとりかかった(北タイ 大10・12・12、13)。実際の除雪を事業として行うのは火災予防組合聯合会で、札幌区から除雪の補助金を受けて、市民の協力で実行された(北タイ 大11・12・12)。そのため札幌区では、大正十一年度予算から経常費第四款土木費第三項雑費の二目に、「交通ノ安全ト利便ヲ図ルヘク」除雪費三〇〇〇円を計上した(大正十一年区会会議録)。この除雪費は補助金で、後には除雪奨励費や市内主要道路除雪奨励費という名目になる(札幌市予算書)。

写真-3 プラウ式電動除雪車(大10)

 その後は除雪励行ビラの市民への配布や、除雪実行委員の巡回検査などを行い、除雪実行を促していった(たとえば北タイ 大11・12・10、12、13、14)。ついで十四年九月、北海道庁令第七六号で「国道、地方費道、準地方費道道路保護規則」、道庁告示第五七三号で「道路保護組合模範規約」が制定され、道路保護組合が設立されることになった。この組合は、「市町村内ニ居住シ一戸ヲ構ヘタル世帯主及青年団員並ニ在郷軍人分会員」で組織され、その事業のなかに道路の掃除や除草などとともに除雪が入っている。これで札幌市内の主要な道路は除雪がなされることになった。札幌市内では昭和五年四月に、豊平鉄南道路保護組合が設立され、札幌市ではじめての組織と報道されている(北タイ 昭5・4・18)。昭和期に入っても除雪は火防組合が行っている(たとえば北タイ 昭4・2・16)。道路保護組合支部の区域や支部長が衛生組合火災予防組合と重複すること(北海道庁公報第六八二号 大14・9・9)から、事業そのものはその組合の事業と混同されている可能性もある。昭和十五年に衛生組合火災予防組合などを合体させた公区・聯合公区が設置されると、道庁土木部長から市長へ道路保護組合も組み込むように指示された(道路保護組合ニ関スル件 昭15・12・13 翼賛運動提要)。そのため除雪公区の警防部警防係の事業に組み込まれた(札幌公区及聯合公区設置規定 例規綴 自昭13・1至昭15・12)。