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桑園駅などの設置

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 鉄道敷設法が施行されると、その後の運動は札沼線の分岐点や設置駅の位置などについての運動が展開されることになった。
 一つは分岐点となる位置について、鉄道会議通過直後の大正十二年一月九日、分岐点として桑園駅を新設する運動が始まった(北タイ 大12・1・10、2・4など)。札幌駅からの分岐を要望する運動もあったが(北タイ 大12・3・27、29)、最終的に苗穂駅と桑園駅で猛烈な競争が行われたという(北タイ 昭2・12・25)。
 その他の駅の設置については、篠路駅(北タイ 大12・1・19、2・4、3・17など)、新琴似駅(北タイ 昭4・3・27)、現在の札幌市域内では他に茨戸や烈々布など、また市域以外でもその設置場所について運動が展開された(北タイ 大12・3・9、19、5・15)。
 桑園駅設置については、大正十二年九月になって「札幌琴似間に函館基点一七八哩六鎖に一駅設くべし」という通牒が、道庁を通して札幌市になされた(北タイ 大12・9・22)。そして十三年駅位置は、札幌競馬場で競馬開催されるときに臨時の乗降場が設置される場所に決定し(北タイ 大13・4・2)、六月一日開業した(北タイ 大13・6・1など)。
 現在の札幌市内には、新琴似駅篠路駅札沼南線開業の九年十一月二十日開業した(北海道鉄道百年史 中)。