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昭和恐慌期の経営悪化

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 拓銀は、大蔵省から厳しい監督を受けていたが、昭和九年における監理官橋本昂蔵の報告書(監理官 橋本昂蔵 北海道拓殖銀行ニ関スル主ナル問題ノ概要)が残されているので、それを紹介しよう。
 監査の項目を目次によってみると、「貸出金内容ノ悪化、代償不動産ノ増加及新築費勘定、拓殖債券発行ノ状況、余裕金ノ増加ト之カ運用、収益ノ減退ト之カ対策、北門銀行トノ関係、北海道拓殖鉄道関係貸出、旭川電気軌道関係貸出、合同漁業関係貸出、樺太共同漁業関係貸出、寺田省歸関係貸出、鈴木商店貸出」というようになっている。主な点だけ紹介すると、まず、「貸出金内容ノ悪化」については、「当行諸貸出金ハ其ノ内容漸次悪化シ来レル傾向アリ」とされている。その原因は、一般経済界の不況、物価の下落、天災等による北海道・樺太産業の不振、対支輸出の不振であるという。その結果、昭和九年上半期の長期貸付金残高約一億四三二九万円のうち元金延滞が一〇一〇万円、利息延滞が六三一万円にのぼり、「諸貸出金中欠損見込額ハ凡ソ一千二百万円ト推定セラル」という。
 「拓殖債券発行ノ状況」では、昭和三年上半期~九年上半期にかけて預金部引受分が債券発行高の二七・三パーセントから六一・七パーセントに増大したことを示し、「預金部引受分ノ運用利鞘ハ四厘五毛乃至八厘ニ過キズ……収益採算上最モ苦痛トスル所」だとしている。「収益ノ減退ト之カ対策」では、「収益低下ノ大勢ハ否定シ難キ所」であり現状の七分配当を減配することは、銀行当局者は信用に影響すると否定するが、「考慮ノ余地少カラズ」としている。「寺田省歸関係貸出」とは、小樽の事業家で北海林産、小樽運送社長寺田省歸への貸金二八五万円が回収困難となった問題であり、「鈴木商店貸出」は、割引手形一〇八万円が焦げ付いたということである。
 このように、昭和恐慌期における拓銀の経営は、事業規模は拡大したものの、北海道・樺太経済の浮沈に規定され、収益は悪化していたのである。