これらの農業試験機関の機構の変遷や事業の概況については、『北海道農業技術研究五十年』『北海道立種畜場沿革誌』『農林省種羊場一覧』に譲り、ここでは北海道農事試験場の事業の一端を示すにとどめたい。『北海道農業技術研究五十年』によれば、試験研究五十年の業績として、a農作物に関する試験研究(品種改良、耕種法)、b畜産、c蚕糸、d土壌(土性調査及び土性図、特殊土壌)、e肥料、f農機具、g農作物の病害並びに雑草、h農作物並びに家畜の害虫、i農産加工、j農業経営、k農業地域区分、lその他(種苗配布、種畜種禽の払下または貸付、農業技術者の養成、農業関係物料の分析並びに種苗の鑑定、各種出版物の刊行、各種行事に対する場員の派遣)など多岐にわたるが、水稲の試験研究について、以下の通り述べている。
昭和に入ってから六、七、九、十、十六及び二十年と六回にわたり著しい冷害凶作に見舞われ、昭和八年は大豊作であったが米価の暴落による豊作飢餓となり、又十五年には稲熱病の大発生による凶作があった。(中略)かかる連続的凶作に遭遇したことによって本道の稲作は経営的にも、また栽培技術的にも再検討の段階となり、昭和八年には官民一体の稲熱病総合防除運動、昭和九年には冷害克服の運動があいついで起こり、当農業試験場に於ける試験研究の成果を基礎とした、寒地稲作独自の科学的技術の普及指導の徹底が図られたのである。しかして当試験場は昭和十年以後、府県産品種に劣らぬ良質多収で耐病性の新品種を続々と育成し、又寒地向に安全多収栽培である温冷床苗栽培法並びに広幅栽培(並木式栽植法)に関する研究を完成し、あるいは水稲冷害現象に関する細胞組織学的研究の進展とあいまって、本道独自の寒地稲作の技術体系を確立して今日に至っている。
(北海道農業技術研究五十年)