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製薬工業

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 製薬工業も大正半ばに入って勃興してくるようになる。大正八年に北海製薬(南3西3)、九年には三星薬品(南3西14)、大正製薬化学(山鼻)、三塚製薬(愛国堂、南3西5)、東亜薬品などの製薬メーカーが相次いで創立されていた。このうち三星薬品の昭和八年の営業収益税が二七二円という高額であったように最も大手であった(札幌商工人名録 昭8)。昭和十一年四月に琴似工場を新設していたが、主な製品はビタミンB剤「コルンエキス」、せき止め薬「フスゲン」、皮膚病軟膏「クルペオール」、結核治療剤「チモフォーゲン」などであった(三星薬品は十八年に東京の鳥居薬品に買収となる)。
 昭和に入ると上光薬品(北5西15)、丸一斎藤商店(南1西2)、秋山愛生館、大日本製薬国益研究所極東製薬などの製薬会社が市内に創設されていき、豊平町平岸にはミッテル化学研究所も創設され、製薬界は活況をみることになる。同時に札幌の工業圏となっていた琴似村へも企業の進出が相次ぐようになる。琴似村には六年六月に肝油製造を目的に丸都商会の工場が設立され、翌七年八月に北海水産工業研究所となる。同所ではタラ・スケソウの肝臓から製剤した強壮剤(ホルモン剤)である「ネオ肝精」が著名であった。十年十二月に「チモール」の北海道理化学工業が創立され、十九年に設置された日本新薬札幌工場では駆虫薬を製造していた。

図-2 工業地区となった琴似駅周辺 『札幌郊外・円山町・琴似・軽川・明細図』(昭和13 部分)

 これらの製薬会社も十七年の企業整備により、雪印乳業薬品工業三星薬品上光薬品丸一斎藤商店ミッテル化学研究所東亜薬品、及び道内の売薬製造業者を統合した北海道新薬(南3西13)の七社に統合となった。二十年一月に道庁にて「急速自給対策ヲ講ズルノ要」より北海道医薬品生産協会の設立を計画したが、その折の北海道製薬業者名簿には、札幌関係では北海道理化学工業北海道興農公社北海道海藻工業上光薬品丸一斎藤商店北海水産工業研究所、日本新薬、北海道新薬があげられている(医薬品生産協会設立会則及会員関係)。