昭和八年六月から七月にかけて、河野広道、高倉新一郎、後藤寿一らをはじめとする、当時の北海道やアイヌ民族の歴史・文化研究者によって組織された犀川会が「北海道原始文化展覧会」を開催した。開催に際して北海道帝国大学附属博物館、北海道庁学務部、函館市立図書館が全面的に協力した。
この展覧会は将来の「郷土博物館」設立に向けてのデモンストレーションを目的として開催されたものである(東京日日新聞 北海道樺太版 昭8・6・24)。こうした「郷土博物館」設立の構想は北海道固有の現象ではなく、昭和初年から全国的に広がっていた(久保内加菜 昭和初期「郷土博物館」の思想)。これは当時の内務省、文部省が主導した国民教化策の展開と密接な関係を有している。
この展覧会は三部から構成され、その第一部は「土石器ノ部」で、北海道内から出土した土器・石器・骨角器類、また、第二部は「アイヌ土俗品ノ部」で、イナウ・マキリ・イクパスイ・サパンペ・イタなど、アイヌ民族の儀礼や日常生活に使用する各種器具、そして、第三部は「上古遺物」で、杉山寿栄男が所蔵する曲玉や古墳からの出土鏡などをそれぞれ展示した(犀川会編 北海道原始文化要覧)。
これを記念する事業として講演会も同時に開催され、河野広道が「北海道の先史時代」、杉山寿栄男が「原始時代之工芸」、金田一京助が「アイヌの話」と題してそれぞれ講演を行った。また、その「余興」として、当時、札幌に在住していた空知実、空知シゲらによって、アイヌ民族の伝統的な音楽や舞踊も市民に披露された。
この展覧会では、アイヌ民族の文化を石器時代から古墳時代までの日本文化に対置し、それを「原始文化」(プリミティブ・カルチュア)として位置づけた。このようなアイヌ文化認識は、民族のオリジナリティの発見や文化の相対化には繋がらず、逆にアイヌ民族の「文化への差別的関心」(吉見俊哉 ジャポニスム・帝国主義・万国博覧会)を呼びさましていくことになるのである。