これまで札幌に専門の出版社はなく、冨貴堂を中心とする書店、あるいは北海石版所のようなごく一部の印刷所がその役割を担っていた。しかし、実業補習学校の充実、青年訓練所の新設などで教育関係図書・雑誌の必要性が生じた(新北海道史 第五巻)ため、これらを刊行する「北海教育評論社」や「北海出版社」のような専門の出版社が誕生した。
北海教育評論社は石附忠平が主幹となり、『北海道小学郷土読本』『冬休の学習』『教壇論語』(昭13)等を刊行している。北海出版社は十五年、前札幌師範附属主事石田磊三によって設立された。『単級複式編成教育研究録』(昭8、9)、『青年学校施設経営の実際』(昭10)、『青年訓練所教科書』等教育関係の他に、『北方文明史話』(昭4)のような郷土史も刊行している。また、『北海道年鑑』は「一度巻を開くや北海道のあらゆる事項を指摘し得べく、一望の下に大勢を通観することが出来る」もので、「内地への本道紹介に必要あるばかりでなく、本道に住むあらゆる階級と職業とを通じて本道の大勢を達観すべく、極めて緊切なる要求」(北タイ 昭2・8・19夕)のもとに出版された。
この他に「北方出版社」(尚古堂経営)が、『馬鈴薯』(昭18)等の農業関係書や『北方文化の主潮』(昭16)、『北海道文化史序説』(昭17)等の郷土関係書を刊行している。この郷土関係書は「北方叢書」としてシリーズ化されたが、それは戦時下の国防思想に基づくものであった。国家総動員法の公布(昭13・3・31)により「国家総動員上必要ナル情報又ハ啓蒙宣伝ニ関スル業務」として、出版界もこの法律の適用をうけた。「北方叢書」がこうした情勢から生まれたものであったことは、「北方は国際諸勢力の集合点であった為に、旧くから我が国の生命線として国防上重大な地位を占めており(後略)」に始まる「発刊の辞」において明らかである。以上、三社の出版物は表12のとおりである。
その後、戦時体制の強化にしたがって出版界の統制も厳しくなった。昭和十八年(一九四三)二月、「国家総動員法」に基づく出版業の統合・合併を企図する「出版事業令」が公布された。この企業整備により、翌十九年北海教育評論社と北海出版社他が統合して「北方出版社」となった。これが札幌における唯一の出版社となる。さらに翌年、日本出版会の北海道支部が設立し、道内の出版界はこの統制下に置かれた。