昭和二十二年四月八日、高田市長が当選後、初登庁して行った職員への挨拶で、高田は「市政を明朗ならしめることに力を致さなければならない」、「市役所をはじめ私達の職場を明朗な姿にしなければならない」、「市民に対しては飽くまでも親切であり、申出られた仕事の処理は正確でなければならない」と述べた(市政私記)。市民の意向を市政に反映させることは戦後地方自治制度によっても求められていることであり、第一期高田市政にはそのための新しい制度、取り組みが見られた。
前述の専門委員会や行政委員会の他に、公聴会、「市民の声」調査・世論調査、市長市民懇談会などがあげられる。公聴会は、一般的な関心および目的を有する重要な議案について利害関係者または学識経験者などから意見を聴く制度である。札幌市での最初の公聴会は、市議会に提案された清掃条例の罰則をめぐって議論があり、同条例の賛否を問うて二十五年五月十八日に開催された(道新 昭25・5・16、七期小史)。
二十三年、市では市民の世論を市政に反映させるために、事務分課規定に世論調査に関する事項を追加し、以後継続的に「市民の声」を徴することとした。最初の「市民の声」調査は十一月二十、二十一日の両日、市内三〇〇世帯を対象に訪問調査で行うこととした。質問項目は来年市長に何を望むか、市吏員・窓口、出張所、南四条通り拡幅の四項目であった(道新 昭23・11・14)。
二十三年六~七月、高田市長は自ら街に出、市民と直接懇談し、市政に忌憚(きたん)のない意見を得るために、出張所別に市民懇談会を開催した。六月二十一日の豊水地区を皮切りに七月十六日の苗穂地区まで一カ月にわたって二一地区で実施され、参集人数は延べ三一二五人で平均参集率二〇世帯に一人であった(道新 昭23・6・19、7・18)。これは東京の新聞の地方版にも記事が掲載されるなど、世人の注目を集めたが、市長の人気取りであるとか、次回選挙の工作であるというような批判が出て中止された(市政私記)。
一方、市政の情報を市民に提供する広報活動の新たな取り組みも始まった。大正十一年(一九二二)十二月に『札幌市公報』が創刊されているが、これは市の発した令達や辞令、各課の活動・事業の彙報(いほう)が主な内容であった。昭和二十五年(一九五〇)一月、広報紙『さっぽろ』が創刊された。これはタブロイド版の写真入り新聞のような体裁で、内容は市・市議会の事業・活動の情報やそれへの市民の協力のお願い、市長の言葉と市の施政方針や市民からの要望を掲載している。市の決定事項を住民に伝達する『札幌市公報』から、この広報紙が分かりやすく市や市議会の活動、市政の情報を市民に広く提供する役目を果たすようになった。『札幌市公報』は二十九年三月二十日の第六五四号をもって廃刊となる。
財政白書は、地方自治法により地方公共団体が年二回以上住民に公表しなければならないとされ、札幌市では六月と十二月に公表されることになった。二十五年六月二十日、弘報号外で札幌市初の財政事項説明書が発表された。