改選後の市議会では、保守系議員の間で自民党市議を中心とする公友会(二一人)と無所属議員を中心とする新政クラブ(一五人)が一旦結成された。しかし、副議長選出問題で公友会が分裂し、六月二十日には結局、公友会一五人、新政クラブ一四人、同志会六人、社会党一三人、公明会四人、共産党三人、無所属一人という会派構成となった(十一期小史)。
翌年二月、幹部の無批判な原田市長追随路線に反感をもつ議員一四人が公友会と新政クラブを脱会して新陽クラブを結成した(道新 昭39・2・22夕)。これに対し、残留保守三派は原田市政を強力にバックアップするために、合同して公正同志会(二一人)を結成した(道新 昭39・2・28)。公正同志会は自民党議員が多数を占めており、新陽クラブの自民党議員は少数で無所属議員が大半であった。