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高度成長期の地方財政

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 昭和三十四年(一九五九)、日本経済の実質経済成長率は一〇・四パーセント(昭和四十年基準)と戦後初めて二桁を記録し、翌年十二月に第一次池田勇人内閣は、「国民所得倍増計画」を閣議決定した。この「計画」は、三十六年度から四十五年度の一〇年間で、年平均七・二パーセントの経済成長を維持し、実質国民所得を二倍にすることを目標とした。そのためには、第一に、計画的に公共投資を配分し、道路、港、都市基盤などの社会資本を充実させること、第二に、民間経済の自生的成長を誘導すること、第三に農工間、地域間格差を是正することが必要である、とされた。このうち第一の社会資本、とりわけ産業基盤の整備は、民間設備投資の急増にも支えられて、「(東京)オリンピック景気」(三十七~三十九年)、「いざなぎ景気」(四十~四十五年)と呼ばれた大型景気を呼び起こすことになる。高度経済成長の時代が到来したのである。
 この時期の国の一般会計における基本的な予算編成方針は、「健全均衡財政」の維持(三十八~四十年度)、あるいは公債発行額の限度設定・公債依存度の引下げ(四一~四十六年度)の原則に立ちつつ、歳出面での重点施策として、「社会保障の充実」と「社会資本の整備」あるいは「産業基盤の整備」を重視するというものであった。
 また地方財政の運営に関しては、昭和四十三年度からそれまでの「健全化」「合理化」を一歩進めた「重点主義の徹底」がうたわれ、同年度から四十五年度予算で、国と地方の行政事務分担の再検討を柱とする地方交付税制度の見直し、ならびに地方財政に対する補助金制度の合理化が提言された(大蔵省財政史室編『昭和財政史 昭和27~48年度』第3巻・第4巻)。
 ところで、これらの重点施策のうち、道路・橋梁、港事業を中心とする産業基盤の整備、すなわち公共事業への重点支出は、他の先進工業国では例をみない日本財政固有の特徴である。しかもこうした特徴は地方財政にもあてはまり、三十年代から四十年代にかけては、道路橋梁費を中心とする土木費が、都市基盤整備事業の長期化と、住宅、街路、公共下水道など生活関連需要の広域化と歩調をあわせて急増する。
 またこの他には、四〇年代半ばから民生費(社会福祉費、老人福祉費、児童福祉費、生活保護費)の構成比が高まること、企業優遇税制と国に傾斜した税源配分によって、市町村税の比率が一貫して減少することなども、当該期の市町村財政の特色として広く知られている。