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各地域の水道

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 札幌市には合併町村が独自に経営していた水道や上記のほか新たに造成された住宅団地にも水道があった。
 豊平町には、月寒水道定山渓水道羊ヶ丘水道真駒内水道平岸水道があった。月寒水道は、明治四十三年歩兵二五連隊のための軍用水道として開設された。敗戦後一時、進駐軍が利用して配水管から支管を分けて引水した。その所有は大蔵省札幌財務局となっていたが、その後月寒兵舎などは外地引揚者収容施設となり、豊平町が実質的な管理を行っていた。収容者の増大による給水栓の不足、漏水や破損改修のため豊平町は国に月寒水道改修工事を申請し、二十三年度国費をもって全面改修に当たった。二十四年近隣住民への供給などを意図して豊平町は、財務局に対して月寒水道の無償貸付を願いでて、八月から施設すべての貸与をうけて豊平町が経営をはじめた。三十四年から水源を地下水とする拡張事業を行ったが、計画どおりの水量が得られなかった。そのため三十六年合併後、札幌市は計画を変更して、藻岩水道から分水することにしたが、その実現まで羊ヶ丘水道から分水をうけ、四十三年藻岩水道に編入された。定山渓水道は、二十九年七月定山渓水道促進会が発足して水道布設運動を展開した結果、三十一年一月事業認可を受け、三十二年十二月通水を開始し、三十六年合併により札幌市に移管された。羊ヶ丘水道は、札幌緑地都市株式会社が造成した住宅団地のために建設した簡易水道で、三十三年十二月さく井を水源として通水した。豊平町の合併後の三十八年、会社と札幌市が分水契約を結び、双方の水道施設の相互連結を行った。四十三年十一月藻岩水道に編入した。平岸水道は、住宅公団が造成した木の花団地のために豊平町と札幌市が協議して藻岩水道から分水して、三十三年十一月通水を開始し、合併と共に藻岩水道に編入した。
 手稲町には、手稲水道手稲東水道があった。手稲水道は、十四年認可となっている三菱鉱山株式会社手稲鉱山の社宅用に計画されたものであった。しかし二十八年手稲鉱山の事業縮小に伴い交渉の末、二十九年星置川の水利権ともども水道施設が手稲町に寄付され、三十三年一月通水を開始した。表10のように拡張を行い、四十二年合併後は札幌市で拡張事業を継続し、三十九年には軽川からも水利権を獲得し、四十七年藻岩水道に編入した。手稲東水道は、三十九年十一月にさく井を水源として給水を開始し、四十四年手稲水道に統合された。
 その他昭和三十年代に造成された住宅団地には、真駒内団地水道ひばりが丘水道下野幌水道があった。真駒内水道は、三十四年から造成された道営住宅団地である真駒内団地にさく井を水源として、三十五年一月から給水を開始した。しかし井戸だけでは不足であるため藻岩水道からの分水も行い、四十三年札幌市に移管され、藻岩水道に編入された。ひばりが丘水道は、四十三年から造成された市営住宅団地ひばりが丘団地のためにつくられた深井戸による簡易水道で四十三年十二月から給水し、はじめ札幌市建築部が経営した。三十七年七月水道局に移管し、四十五年下野幌水道に編入された。下野幌水道は、三十七年から造成された下野幌団地のためにさく井を水源として、四十年十一月通水を開始し、四十七年四月藻岩水道に編入された。
 さらに三十一年一月の石山専用水道をはじめとする専用水道や簡易水道は、四十五年度三七件(簡易水道二三、専用水道一四)数えられている(以上札幌市水道五十年史)。
 なお昭和四十七年紹介された給水区域の拡張計画図は、図3のようになっている。

図-3 ひろがる給水区域『広報さっぽろ』(昭47.2)より