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復興にむけて

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 配給制度が存続し、闇商人が跋扈するなかでも、市内では徐々に商業の復興にむけた動きがみられるようになっていった。昭和二十一年三月二十七日には二条魚市場が復活し(道新 昭21・3・28)、狸小路でも戦争中に転廃業や休業していた名取川靴店(狸小路一、二丁目)、明正堂書店(同四丁目)、マキノ時計店(同四丁目)など多くの商店が二十一、二年にかけて続々と再開した。二十二年十一月十八日には、札幌狸小路商店街商業協同組合も設立されている(札幌狸小路発展史)。また水野鏡店(南2西4)など強制疎開にあった業者も、二十一年の跡地返還にともない元の場所で営業を再開した(道新 昭22・3・14)。また外地からの引揚者が自力更正をめざして「卸小売の店ホクシン」を設立したり(道新 昭22・3・18)、市の都市計画案に先駆けて中心部から離れた商店街の健全育成をめざすマーケット(南一四条西七丁目、行啓通停留所横)が設立されるなど(道新 昭23・4・18)、商業再生への新たな動きがみられるようになってきた。
 一方、都市計画をめぐって札幌市産業振興委員会の商業部会で、「市内に商業中心地区を設定して商業の振興をはかろう」とする高田市長に対して中間答申が行われた。それによると業種毎の中心地区を設定し、その地区ごとに業者が協力して合理的経営を行うことが目指されており、商業中心地区としては東札幌貨物駅ホーム付近に「中央卸売市場」を設置すること、大通西一丁目ないし四丁目を「金融経済中心街」、北一条時計台付近と豊平町電車通を「卸売問屋中心街」、東西に南一条通、狸小路、南北に駅前通、旧新川通、さらに北大正門前、行啓通などを「小売商中心街」、定山渓、薄野、中島、白石、創成川畔を「歓楽中心街」とすることが構想されている。また「露店市場」に関しては、むしろ一定の市場街に設定して健全な存続をはかるべきこと、また「付近町村の衛星的商店街」として白石、江別、月寒市街地、茨戸、石狩市街地、琴似、軽川市街地などがあげられていた(道新 昭22・9・3)。

写真-3 西2丁目線露店街(昭和28)