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デパートへの対抗

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 丸井今井、三越五番舘の三つのデパートは、昭和三十一年十二月の全道のデパートの総売上げ一八億五〇〇〇円のうち約半分を占めるほどの売り上げがあり、このことは当然札幌市内の一般小売商店、商店街の脅威ともなっていた。三十三年十一月八日には五番舘デパートが地上六階(一部九階)・地下三階の新しい本館を開店させている。
 一方、三デパートに対抗すべく、三十三年六月にはステーションデパートが売場面積一二〇〇坪を増設し、狸小路では大雨や大雪の際、客足をほとんどデパートに吸収されてしまう弊害を解消するため、アーケードの設置に乗り出した。三十三年十二月二十三日には三丁目にアーケードが設置され、以後三十五年十一月二十三日までに一丁目から七丁目のすべてのアーケードが完成した。また中小の商店は、共同店舗による集合デパート化に活路を見いだした。三十四年十一月二十八日南二条西二丁目に開店したそうご百貨店、三十七年十二月狸小路三丁目に誕生したサンデパートがその例である。また道外資本が進出する場合もこの方法は有効とされ、三十六年八月に開店したHBC三条ビルの銀座名店街は東京の有名店が一つのビルに共同出店するという方式がとられた。
 このようななか三十七年には、南一条西二丁目のカナリヤ洋装店が売場面積を倍増して百貨店法の適用をうけることになり(道新 昭37・9・4)、この結果札幌の都心には、三デパートのほか、そうご、金市館、池内商店、ステーションデパートサンデパート、カナリヤと九つのデパート、あるいはデパート形式の商店がひしめくこととなった(道新 昭37・10・10)。また三十八年には、丸井今井や三越で売場面積の狭さが指摘されるようになり、商店の共同店舗化やスーパーマーケットの進出に対抗するため、増築が計画された(道新 昭38・3・17)。