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基地建設とタコ部屋解体

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 進駐軍基地や施設、引揚者住宅新築等に伴う工事によって、土建業者が息を吹き返した。地崎組・伊藤組・荒井合名など道内企業のほか、鉄道工業などの大手土建会社の支店にも職員組合が相次いで誕生し、二十一年五月二十五日、道会議事堂で北海道土建職員組合連合会結成大会が行われた(道新 昭21・5・24)。基地建設工事たけなわの七月二十七日、「監獄部屋打破」を掲げていた社会党道連の渡辺惣蔵書記長らが、「タコ部屋制度改革」について日本建設工業統制会役員に申し入れを行った(渡辺惣蔵 わが道わがたたかい)。
 それから一月足らず後の八月二十二日、『道新』朝刊が、「作業から寝食迄/棍棒の監視/真駒内工事に監獄部屋」の見出しで、日本人労働者四〇〇〇人以上が就労する、進駐キャンプクロフォード建設工事場における土工部屋摘発の模様を報道した。きっかけは、工事場の土工部屋から脱走した二人の土工夫が札幌警察署(現中央署)に駆け込み、米軍政部が憲兵を総動員し、日本の警察と協力して摘発したものであったという(高橋昭夫 証言北海道戦後史─田中道政とその時代)。雇用主は鉄道工業配下の土工部屋新野組で、部屋頭や幹部五人が逮捕された。周旋屋の「一日十五円の労賃、一日六合の白米飯」の甘言で送り込まれた約三〇〇人の土工夫が、作業時以外は二階の「寝部屋」に押し込められ、作業中は一〇人に一人の割で監視人がつき、逃走を企てる者は「半死半生になるまで殴打される」など(道新 同前)、戦前のタコ部屋さながらの状態であった。
 日本の遊廓や、繊維工場・炭鉱などにおける前近代的雇用実態の調査に着手していたGHQ労働課は、軍政部保安課からの情報を受けてただちに、日夜「棍棒で監視しながら、強制労働をさせているという」雇用「慣行の是正除去」命令を発した。これに対してむしろ、「日本政府の役人」の方が「北海道には労働力が不足しているから、ある程度必要悪」という態度であったという(証言日本占領史―GHQ労働課の群像)。道庁警察部刑事課は、軍政部保安課の指揮のもとに全道の警察署に対し、炭鉱地域や土木工事場の寄宿舎や周旋業者の名簿作成のほか、請負人や請負金の内容、労働者と工事請負人の雇用契約実態、逃亡行方不明者・死傷者・病者などの原因調査などを指令し、九月一日から、全道的な土工部屋の調査とタコ部屋の摘発が行われた(道新 昭21・9・3)。
 夕張市をはじめ、道内でいちはやく労働組合が結成されていた炭鉱地帯を中心に、道内各地で不法事例の存在が明らかとなり、九月下旬までに摘発された土建会社数は一二社、不法周旋行為による摘発件数は五〇件・五七人、傷害・不法監禁・傷害致死などの事件数は一〇二件・検挙数一二三人に達した(毎日新聞 昭21・9・28)。この摘発でタコ部屋はいったん壊滅したが、その後、経済成長期にはいると組夫制度や暴力団組織と結合した「手配師」などにより、類似の雇用形態は復活した。