だが、この交換会も、回を重ねるごとに、ブローカーが介入してきた。二十一年七月の交換会の出品数と需要数をみると(表17)、嗜好品趣向が多くなり、生活のためよりも遊興のための市場に変化してきた。札幌市は、札幌市民食糧委員会を設けて隠匿食糧の摘発に努めていたが、ヤミ商人のなかには「北海道生活援護協会」などの架空の団体を名乗り、「摘発」に歩いたグループもあった(道新 昭21・4・23)。これらの物資は、ヤミ市に流されるケースが多かった。
表-17 丸井百貨店日用品交換会状況 |
(昭21.7.1~7.25) |
種類 | 出品数 | 需要数 |
衣料 | 269 | 163 |
履物類 | 197 | 98 |
食糧 | 95 | 32 |
酒類 | 21 | 138 |
砂糖 | 55 | 348 |
日用品 | 159 | 35 |
煙草 | 74 | 139 |
他 | 109 | 64 |
『道新』(昭21.10.21)より作成。 |
その後、市内各地区(丸井百貨店横、南四条のカバ市(樺太引揚者の運営)、豊平橋南橋詰、新善光寺横など)に露店街ができ、これもヤミ市とは呼ばれたが、そこで売られるのは、合法的な商品が主流であった。狸小路東部は二十二年以降、一般商店街に復帰したが、進駐軍の横流し物資を販売する者が後をたたなかった。二十四年六月二十二日には警察官二五〇人が狸小路一・二丁目を包囲し、通行人、商店を取り調べ、進駐軍物資不法所持の現行犯として五四人を連行した(道新 昭24・6・23)。
小樽方面の主婦が主体の「ガンガン部隊」(魚行商人)は、警察から「動くヤミ市」と言われたが、市民に人気があった。二十三年一月から取締まりが厳しくなったが、情報を手に入れるのが早いのか、取締まりの網にはかからなかった。