ビューア該当ページ

GHQの四大指令

751 ~ 752 / 1021ページ
 米太平洋陸軍総司令部(GHQ/USAFPAC)に民間情報教育局(CIE)が設置されたのは昭和二十年九月であり、さらに十月には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が設置され、その内部機構としてもCIEが設置された。CIEは十月中旬以降、いわゆる四大指令を発し、日本の教育改革に乗り出した。
 四大指令の第一は、「日本教育制度ニ対スル管理政策」(昭20・10・22)である。教育管理の基本方針として軍国主義教育を禁止し、民主主義教育を奨励し、教職追放など、のちの指令の先駆けとなる内容を提示した。
 第二の指令は「教員及教育関係官ノ調査・除外・認可ニ関スル件」(昭20・10・30)であり、文部省による勅令二六三号などとして具体化され、実施に移された。北海道では二十一年六月二十五日に、北海道教職員適格審査委員会が設置された。その審査によって七九人が追放され、また多くの教員が自主的に辞職した(新北海道史)。
 第三の指令は「国家神道・神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ禁止ニ関スル件」(昭20・12・15)であり、神道と教育の分離が図られた。北海道では二十一年一月十日に内政部長名で依命通牒された。さらに、天皇の人間宣言が出て、その神格性が否定される中で、道では「天皇、皇后、皇太后陛下並ニ皇太子殿下ノ御写真ノ取扱ニ関スル件」(5・15)などを通牒した。各学校は国家神道や国家主義の色彩のある施設の撤去や御真影返還などを開始した。奉安殿については、各学校で随時撤去を行った。北星学園のように、木材を売り払ったりした学校もあったし、一方で軍政部との交渉で撤去せずに、物置として利用した藤学園などの例もあった。御真影などについては、各学校から札幌市役所と各町村役場に集められ、これを一括して札幌神社の清慎舎前の広場で焼却した(山崎長吉 札幌教育史 下巻)。
 第四の指令はいわゆる三教科の停止であり、「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」(昭20・12・30)で指令された。教科の停止という思い切った措置は、教育関係者に大きなショックを与えたと思われる。
 このような軍国主義的な教育施策の払拭という「否定的措置」の上で、CIEは対日米国教育使節団の招聘という「積極的措置」を行うことになる。使節団は二十一年三月に約一カ月日本に滞在して報告書を作成し、マッカーサー元帥に提出した。この報告書は教育の機会均等といった教育理念、六・三・三・四制といった教育制度など、さまざまな点について日本に変革を要請しており、その後の日本の教育改革に大きな影響を与えた。文部省ではこれをうけた形で、二十一年五月から二十二年二月にかけて、四分冊の『新教育指針』を刊行した。