昭和三十年代に入ると、長寿化、高齢化の中で、高齢者教育への関心が年々高まり、その具体化の機運が高まった。四十年に、北海道教育委員会から高齢者学級設置の委嘱が始まり、札幌市もこれに呼応した。また、四十七年には、道から学習・実技・奉仕活動の三コースにわたるモデル高齢者学級開設事業運営要綱が示され、高齢者学級が設定された。札幌市の場合には、四十八年、定員五〇人、学習時間三六時間の高齢者教室として発足した。以後、高齢者教育の諸活動はその内容、規模ともに急速に広がりを示すことになる。
また、社会教育ではメディアが積極的に利用されて、それは時代とともに変化してきた。戦後間もなくの時期の視聴覚教育はラジオと映画・スライド、録音が主であり、三十年代になって逐次テレビが導入された。札幌市も広範に農村地域を擁していたので、GHQから貸与されたナトコ映写機による巡回映画会などは当時の社会教育の語り種とされており、視聴覚教育の研究活動も活発であった。
さらに三十年代になるとメディア利用の教育の推進が重要視され、三十三年からは青少年のための優良映画普及事業なども実施され札幌市でも、年間四〇〇〇人から一万人が鑑賞した。三十六年八月一日から三日には市民会館、市内小学校などを会場として全国視聴覚教育全国大会が開かれた。
四十年代になると学校教育、社会教育に共通して既存の教育施設に視聴覚機器・施設の拡充の機運が高まり、四十二年には視聴覚ライブラリーが開設された。
また、出版メディアについては、その地域的存立条件の厳しさがある中で、産業、教育、文芸、演劇などの諸領域にわたって北海道を基盤として独自の展開を遂げており、札幌は発信の拠点をなしてきた。その活動の主体は、諸領域の運動団体、出版・メディア企業、大学・新聞社の出版事業、関連する公的機関など多様である。