昭和二十年九月に文部省は機構改革を行い、体育局(体育課・保健課)を復活させた。翌二十一年一月、学校体育と社会体育(スポーツ)の一元化を図るため、体育局内に社会体育を所管する振興課が設置された。振興課の所管事項は次の五点である。
戦後の社会体育(スポーツ)政策の基本を形成したのは、体育局より地方長官宛に発せられた通牒「社会体育の実施に関する件」(昭21・8)と、その基本姿勢ともいうべき『社会体育実施の参考』(昭21・9)である。通牒の趣旨は、「近時低下した国民体位の向上を図り、明朗闊達な気風を拡充して勤労意欲を旺盛にするために、社会体育を普及奨励する」というものであり、一二項目にわたる基本方針が示された。ここには、社会体育の組織、指導者、運動種目、施設用具、勤労者のスポーツ活動の奨励など、その後の社会体育施策のほとんどが提起されている。このうち、組織機構の整備については、「会社、工場、商店、官庁等夫々の職場単位に体育クラブ、市町村に運動団体を設ける」こと、体育指導者の充実強化については、「社会体育振興上最も重要」であり、とりわけ学校教員の果たす役割が強調されている。また、体育施設面では、「現在ある体育施設を活用するとともに、漸次修復拡充を図る」とし、既存施設の有効利用が提起されている。
こうした文部省の社会体育振興理念の確立とともに、それらの具体的施策は少しずつ始動し始めた。戦後いち早く活動を再開した軟式野球の奨励のために、ボール一万ダースの府県への配給や、第一回国民体育大会の開催はその一例である。また、文部省内には「体育施設の整備・指導者・事業」等を含めた独自法としての「社会体育法」の策定を求める動きもあったが、CIEとの事前協議の結果、「社会教育法」(昭24・6)におけるスポーツ・レクリェーション領域の挿入によって事態収拾が図られた。社会教育法では、第二条で社会教育を「学校教育法にもとづき、学校の教育過程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育・レクリェーションを含む)」と規定し、社会教育活動の一環にスポーツ活動を位置づけ、第五条では、行政に携わる市町村教育委員会の業務を規定し、社会教育に必要な援助、公民館その他の社会教育施設(体育館、プール、運動場などを含む)の設置と管理、体育及びレクリェーションに必要な設備、資材、資料の交換を挙げている。
こうして、社会体育(スポーツ)は社会教育活動の一環として捉えられ、その法的根拠がかろうじて実現した。