ビューア該当ページ

大学演劇

893 ~ 895 / 1021ページ
 昭和二十年十二月、北海道大学演劇研究会(北大演研)がいち早く創立された。翌二十一年四月、ゴーリキー『どん底』で旗揚げをし、同年のうちに特別発表会や研究会を含め一〇作品を取り上げる精力的な活動を展開した。毎年二から三本のペースで着実に積み上げられた活動の記録から、主な上演作品を挙げると、ストリンドベリィ『父』、ロマン・ロラン『愛と死の戯れ』、ユージン・オニール『限りなき命』、ドーデー『アルルの女』(オーケストラ、合唱つき)、チェーホフ『伯父ワーニャ』『三人姉妹』、メーテルリンク『青い鳥』、シラー『たくらみと恋』、木下順二『蛙昇天』、三好十郎『炎の人』、ルナール『にんじん』、T・ウィリアムズ『ガラスの動物園』があり、その他、イプセン、サルトル、アーサー・ミラー、サローヤン、安部公房、ジロドゥ、ブレヒト等の作品が上演された。国内外の演劇の正統に貧欲に挑戦する演目からも読み取れるように、北大演研は札幌の文化の牽引役たる矜持(きょうじ)をもって、学生演劇を越える試みを堅持継続した。創部からの顧問として演出にも当たった渡辺孚(当時医学部助教授)は、教育者としての見識から「演劇こそは、人間とは、人生とは何かについて実践的に学ぶのに絶好の場を提供するもの」(さっぽろ文庫25 札幌の演劇)として、北大演研を導いた。二十四年に創設された北海道文化奨励賞(北海道教育委員会)の記念すべき第一回奨励賞は北大演研に与えられた。
 もう一つの学生演劇のありようを、札幌文科専門学院(文専/現札幌学院大学)にみる。文専は二十一年六月に開校した三年制の各種学校で、新しい日本を担う人材を育成するという建学の理想に燃え、須貝富安等、三人の青年によって設立された。四年制大学への移行過程として二十五年三月、札幌短期大学となる。開校と同時に活動を開始した演劇研究部は、資格ある大学設立に向け、市民へのPRや資金集めという役割を担っていた。二十一年十月『山の神々』で第一回発表会を行い、二十二年七月、第二回発表会は余市昭和座で八木隆一郎『故郷の声』、ゴールスワァジィ『勝利者と敗北者』を公演した。当時、文専で演劇史を講じていた郡司正勝が指導・演出し、公演に同行している。中島公園内の農業館を借りあげて校舎としていたため、学内での公演が難しく、札幌劇場、中央公民館など外部施設を利用したことが、一般住民や演劇人との交流を深める遠因となった。二十四年太宰治作『新ハムレット』では構想座の清水一郎が演出を指導した。二十六年、ハイエルマンス作・久保栄訳『帆船天佑丸』では五條彰が演出を、札幌鉄道管理局音楽部が音楽を、蝦名こと子(札幌ドレスメーカー女学院院長)が衣裳考証に当たった。二十八年『死んだ海』、二十九年『初恋』と二年続けて取り組んだ村山知義作品では、劇団赤いチョッキの口澤貞一が指導にあたるなど、地場の演劇人との盛んな交流によって、学生演劇の枠に留まらない活動を目指した。
 このほか、二十六年に北海短期大学演劇研究会、二十九年に札幌医科大学北海道学芸大学(現北海道教育大学)の演劇研究会が活動を開始している。北星女子、天使女子短期大学演劇部は、本山節彌、飯塚光友、森一生等を指導者に迎え学風を反映した個性ある活動を展開した。