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出版社の疎開

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 GHQ検閲が行われた時期は、そのまま札幌の出版ブームの時期と重なる。当時出版の中心地であった東京は、米軍の空襲で壊滅的な打撃を受け、出版活動の停止を余儀なくされた。戦災と統制物資であった紙の不足もあり、在京の出版社は疎開を開始する。疎開対象地として長野、仙台、新潟、九州、北海道が選ばれたが、北海道は戦災による被害が最小であったことと、出村によると以下のような条件を備えていたため、多くの出版社が疎開してきた(出村前掲論文)。
 道内各地の製紙工場が完全操業しており、大量の新聞紙・印刷用紙等の主要生産地であったこと。
 札幌市を中心とする道内所在の印刷所は、各種出版物刊行の需要に応ずることが可能であったこと。
 本州から疎開してきていた多数の作家・文化人、画家及び編集者が札幌市に居住しており、各種出版物刊行のための多彩な執筆陣・挿絵画家が豊富であったこと。

 最初に疎開してきたのは二十年の講談社で、少し遅れて青磁社、二十一年には創元社、筑摩書房、鎌倉文庫、日産書房等の在京の出版社が相次いで札幌入りした。
 疎開してきた出版社は二一社で、実際に札幌で出版活動をしていたのはそのうちの一〇社とみられる(平澤秀和 疎開出版社と〝札幌版〟譚4号)。とくに青磁社講談社は、確認されている単行本の割合から活動が活発であったことが窺(うかが)える。
 本州の出版社の疎開によって、北海道の出版界はその発展に一番欠けていた出版業者を得たことになる。それにより、出版界は「一大飛躍をすべき時期に達した」(北海道出版小史)のである。