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敗戦直後の祭典風景

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 昭和二十一年、国民大衆の神社となることをめざして営まれた初めての祭典は、戦争が終わった解放感に満ちあふれていた。
 五月、桜の開花を前にして、「今までかたい一点張りの札幌神社」は、「新生日本を祝福」すべく全境内を市民に解放する「花見の会」を企画した。「神社側と一般が打ち解けて春の一日を送」り、「民衆の神社」としての第一歩をふみださんという試みである(道新 昭21・5・10)。また、祭りの季節到来を告げる十四、十五日の三吉神社例祭は、「平和に開く花の春を彩って、今年は思いきり賑やかに」するため、「子ども相撲などの余興に趣向をこらして大衆の人気」を呼ぶことに努めている(道新 昭21・5・6)。
 六月、「国家神道と切り離されてから最初の札幌神社例大祭」は、例年どおり十四日の宵宮から十五、十六日の三日間執行されることとなり、神社側は「国家の手を離れて物も金もとぼしいが、許される限り戦前のようなにぎやかなお祭りにしたい、神輿の渡御も戦前の形で行いたい、ただ勤王隊のようなものは指令違反だから出来ない」としている(道新 昭21・6・8)。折悪しく、発疹チフスが流行して映画館、劇場などが閉鎖され、創成河畔のサーカスも小屋掛けを中断していたが、十五日にはそれも解けて連日晴天に恵まれた。「平和の夏に札幌まつり、山車も6年ぶり」(道新 昭21・6・15)、「人気おちぬ神輿、殺風景な巷に人波、目立つ晴着」と新聞の見出しが躍り、見物には「手に手にカメラを携えた進駐軍の兵隊さん」の姿もあった(道新 昭21・6・16)。
 七月、札幌護国神社の例祭においては稚児舞、手踊り、相撲などの出し物が行われたが、「曇り勝ちの天気に一般参拝者の数は少なく、敗戦の寂蓼を与えていた」という(道新 昭21・7・5)。一方、同月十五日の豊平神社は「平和再来の喜び」(道新 昭21・7・17)、八月十五日の伊夜日子神社の例祭は「終戦一周年のこの夏祭りを祝う」(道新 昭21・8・14)など、対照的なにぎわいをみせていた。

写真-1 戦前期の賑いを取り戻した札幌祭り(昭24)