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敗戦直後札幌の諸教会

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 敗戦は、札幌の諸教会にとっても、戦時体制の拘束からの解放、新しい活動への気運を促すものであった。敗戦時の札幌の教会とは、表2に掲げる諸教会である。この表には、戦時中、キリスト教再臨説を強調して治安維持法違反容疑ですでに解散させられていた教会(新生教会、セブンスデー・アドベンチスト)を含めている。札幌の教会は他都市で蒙ったような空襲による罹災、あるいは強制疎開によって会堂を破却されたところは無かった。ただ、札幌市内には陸海軍によって北光・大通・北八条・天主公教北一条の各教会が、会堂などを接収されていた。
表-2 敗戦時札幌のキリスト教会
区分教団名教会名所在地現在の教団名/教会名
プロテスタント日本基督教団札幌教会北1東1日本基督教団/札幌教会
札幌北一条教会北1西6日本キリスト教会/札幌北一条教会
札幌北光教会大通西1日本基督教団札幌北光教会
札幌北八条教会北8西6日本聖公会/札幌キリスト教会
札幌山鼻教会南12西12日本福音ルーテル教会/札幌教会
札幌新生教会大通西11ウェスレアン・ホーリネス教会連合/札幌新生教会
札幌豊水教会南4西1救世軍札幌小隊
円山教会北1西24新生基督教会円山教会(単立)
(第七日基督再臨団)◆札幌第七日基督再臨教会南19西6セブンスデー・アドベンチスト教団/札幌教会
(単立)札幌大通基督教会▼大通西7札幌独立キリスト教会
カトリック日本天主公教教団札幌北一条教会北1東6カトリック北一条教会
札幌北十一条天主公教会北11東2カトリック北十一条教会
円山教会北4西23カトリック円山教会
札幌南十条教会南10西11カトリック山鼻教会
オーソドックス(日本正教会教団)札幌正教会南7東1日本ハリストス正教会/札幌ハリストス正教会
教団名の( )は,教団として認可されていなかったことを示す。
◆……認可取り消し,結社禁止処分となった教会。  ▼……会堂または構内の一部を接収された教会。

 これらの各教会にとって会堂への復帰、教会の再建がさしあたっての急務であった。単立の大通教会(独立教会)は九月に陸軍の接収を解かれたが、昭和二十年十月には占領軍のカトリック用の礼拝堂として使用されることになり、復帰は翌二十一年に持ち越された。その三月、同教会は名称も「札幌独立基督教会」に復帰した。北光教会は、十二月に会堂が返還され、同月二十三日復帰感謝会と聖誕節(クリスマス)礼拝を行って復帰を祝った。敗戦直後も続いていた礼拝前の国民儀礼(君が代斉唱、宮城遙拝)が、翌年には同教会の『週報』の礼拝順序から消えた。北一条教会では、宮城遙拝を二十年十一月になって廃止した。北八条教会の会堂、カトリックの北一条教会の伝道館も接収が解除された。
 二十年十月七日に伊藤馨(新生教会)・金子未逸(セブンスデー)両牧師が、治安維持法廃止に先立って釈放された。伊藤は、同年十二月、教会結成式を挙げ新生教会の再建を果たし、金子は釈放後、伝道を再開した。セブンスデーの教会は、二十三年十一月に再組織された。