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円山の山神碑

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 一方、円山山頂の山神碑(明5・12建立)のように霊場信仰の普及とともに再興されたものもある。円山は札幌の都市建設に必要な石材の供給源であり、明治初期には上田万平のように石材搬出で財をなした者が現れ、山神の建立もこれらの搬出業者や石工らによって行われたが、建立の翌年には円山からの石材採掘は廃止された。しかし、大正三年五月に「桜の名所として世に知られる札幌神社の境内の植林の美しさと、天然の風致に富む円山公園も次第に市民に親しまれることに鑑み、更に一歩を進めて円山原始林を広く世に紹介する」(円山の歴史と自然)ことを目的に、登山道が開削されると、成田山新栄寺住職神野実雄をはじめ四国出身者らが、登山道に沿って仏像を安置し、円山八十八カ所霊場が開かれる。このことを契機に、山神碑は霊場の信者らによって護持されることになった(本村に於ける郷土資料と其扱い)。