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政令指定都市への移行

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 昭和四十七年四月一日、札幌市は指定都市に移行した。新しく生まれた区は、中央区、北区、東区、白石区、豊平区、南区、西区の七区であった。
 道からは、地方自治法にもとづき、児童福祉、民生委員、身体障害者福祉、生活保護、行旅病人・行旅死亡人、母子家庭の福祉、老人福祉、母子保健、伝染病予防、寄生虫予防、食品衛生、墓地・埋葬等の規制、興業場・旅館・公衆浴場の営業の規制、結核の予防、都市計画、土地区画整理事業、屋外広告物の規制、に関する各事務が、またその他の法令にもとづき、国道・道道管理、土木出張所、駐車場、衛生研究所、定時制高校人件費、道費教職員任免研修、宅地規制、建築物用地下水規制、開発許可指導、に関する事務が市に委譲された(大都市制度史(資料編)Ⅲ)。
 区役所で扱う事務は、従来出張所で行ってきたもの全部と、本庁舎や出先機関で行ってきたものの一部で市民の日常生活に密接に関係のある事務が区役所に移された。出張所からは住民基本台帳関係、印鑑の届出受理および証明、埋火葬手続、居住・転出入その他証明、主要食糧の配給、国民年金、交通安全の推進および交通災害共済、狂犬病予防、児童生徒の転出入許可などの事務が、本庁などからは現金出納、統計調査、戸籍・外人登録、土地改良や農業経営の改善、道路・公園の管理および道路占用許可、し尿のくみ取り受付、児童扶養手当、国民健康保険、福祉事務所事務、税務事務所事務、水道局営業所事務などの事務が移管された(概要 昭47)。
 政令指定都市移行直前、札幌市には三八カ所の出張所と二カ所の支所が市の出先機関として設置されていた(概要 昭47)。出張所廃止という市の構想は住民サービスの低下を招くという批判を生んだため、篠路(北区)、厚別(白石区)、清田(豊平区)、定山渓(南区)、手稲(西区)の五出張所が設置され(中央区・東区はなし)、他の従来の出張所は連絡所と改称されて四五カ所が設置され、住民組織の振興活動を主な事務とした。従来の出張所付設の地区集会所も連絡所付設の地区会館と改称された。
 区必置機関として区長と区収入役が置かれ、区選挙管理委員会も設置された。選挙人名簿の調製、各種選挙の執行事務、市民に対する啓発事務、直接請求に関する事務などは主として区選管で行い、市選管は主として各種選挙の執行事務のほかに区選管の指導監督や連絡調整を行うこととされた。札幌市農業委員会はこれをもって廃止され、計一二九名農業委員からなる区農業委員会が設置された(中央区には農業委員会はなし)。なお、区農業委員会は、五十五年の農業委員会等に関する法律の改正を受けて廃止されることとなり、五十九年五月に新たに札幌市農業委員会が設置されている。市職員の不服申し立てなどを審理・判定する機関である公平委員会は廃止され、職員の採用、昇任試験、給与表の勧告などの人事行政も担当する人事委員会が新設された(四十六年十一月)。指定都市には、児童福祉法により児童相談所を置くこととされ、これは四十七年四月にオープンした(概要 昭47、48)。