ビューア該当ページ

分区の実施

82 ~ 82 / 1053ページ
 政令指定都市移行時約一〇七万人であった市人口は一〇年後には約一四四万人となり、区ごとの人口バランスや行政サービス面での不均衡が目立つようになった。特に白石区と西区は人口増加が著しく(表11)、昭和五十四年頃から区長懇談会で分区の声が相次いだ。市では当初、六十年頃を分区の目途としていたが、その後両区の人口の伸びに鈍化傾向が見られたため、昭和六十五年ごろに分区予定を変更し、区民センター、図書館、体育館などの施設整備を先行させるとともに、五十八年十一月十八日、市役所内に「札幌市分区問題調査準備委員会」を設置して分区の準備を開始した。
表-11 白石区、西区、豊平区の人口の推移
昭45505560平2712
白石区157,482195,644228,061263,938188,043192,102197,223
厚別区112,623122,738127,718
西区132,537191,816236,035269,450190,807194,308199,385
手稲区110,974129,484136,006
豊平区142,413184,442218,330249,956277,801296,647204,700
清田区110,102
『札幌市統計書』(平14)。各年とも10月1日現在。

 六十三年九月十四日、市議会第三回定例会に分区案が提出され、二十七日の本会議で全会一致で可決された。平成元年十一月六日、新しく厚別区手稲区が誕生した。誕生時の人口は、白石区一八万四八八〇人、厚別区一〇万九八八八人、西区一九万一二九四人、手稲区一〇万五二九二人であった(以上、新しい区行政を目指して)。
 その後、豊平区の人口増大が顕著となり(表11)、四年に市役所内に「豊平区分区問題調査準備委員会」を設置して素案をまとめ、七年十月六日の市議会で分区案が可決された(十九期小史)。九年十一月四日、新しく清田区が誕生した。