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道内四行の業況

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 ここでは有価証券報告書を中心に、この期(昭和六十一~平成十二年度)の道内四行の業況をみる。まず北海道拓殖銀行について、基本的には破綻前の平成八年度までをみることにする。破綻後の九年度末の激変は当然だからである。さて預金は昭和六十一年三月末の六兆三三一八億円(うち譲渡性預金三四七七億円)から平成二年三月末の八兆九三八二億円(同七五〇八億円)を経て同九年三月末の七兆一三一八億円(同三六一六億円)へと推移し、同様に貸出金は四兆四〇四二億円から四兆四九二四億円を経て六兆九七一二億円へと推移した。店舗数は二〇二店(道内一二六、道外七〇、海外六)から二一四店(国内一八〇、出張所二七、海外七)を経て、二〇二店(国内一六九、出張所二七、海外六)に、従業員は六七三三人から六四一七人(うち従業員組合員五九九三人)を経て、五五一七人(同四七三七)へと推移した。預貸率は、先の表8のように推移したが、杜撰な融資実態を反映しているかのように、元年度末五〇・三パーセントと他行と比べ際だって低かったのが八年度末には一転して九七・六パーセントとなっている。資本金は三九二億円から増え、さらに九年の優先株発行による増資で一二三七億九四〇〇万円となり、当期利益金(当期純利益)は一一〇億四五〇〇万円から一六七億八〇〇〇万円を経て、七年度には初のマイナス七一五億円となったが、八年度には六一億三七〇〇万円へとやや回復していた(拓銀 各期有価証券報告書)。そこで北海道銀行との合併による危機打開が図られたが、結局、白紙撤回(平成九年四月、合併発表、九月、延期発表)となって失敗し、九年十一月十七日、拓銀は経営破綻した。道内の営業は北洋銀行に、道外の営業は中央信託銀行に譲渡されることになった。ほぼ一年後の十年十一月七日未明、本店屋上の「北海道拓殖銀行」の表看板(縦約三メートル、横二〇メートル、重さ約五トン)がひっそりと撤去された(道新 平10・11・7)。十三日、すべての営業が終了し、九七年の歴史の幕が閉じた。十六日(月曜日)、北洋銀行に譲渡された資産および負債は表12のとおりであった。
表-12 拓銀から北洋銀行に譲渡された資産と負債(百万円)
科目
(資産の部)
金額
 
科目
(負債の部)
金額
 
現金預け金57,752預金2,530,685
有価証券130,212譲渡性預金470
貸出金1,719,559借用金2,107,200
その他資産1,701,386外国為替29
動産不動産18,526その他負債82,644
支払承諾見返85,406支払承諾85,406
資産の部合計3,712,844負債の部合計4,806,436
北洋銀行『第143期 有価証券報告書』より作成。
1譲渡日は平成10年11月16日。
2その他資産のうち、未収入金1,693,600百万円は預金保険機構の資金援助により即日回収、また借用金は日本銀行に即日全額返済。
3本表のほか、営業譲渡日に整理回収銀行を経由して貸出金40,209百万円およびその他負債29,010百万円を譲受している。

 北海道銀行は、預金は昭和六十一年三月末の一兆九四一五億円(うち譲渡性預金七二二億円)から平成二年三月末の二兆九七一一億円(同二六〇億円)を経て、同十三年三月末には三兆三六九五億円(同四七億円)へ、貸出金は同様に一兆五二三一億円から二兆二四一一億円を経て、二兆六二四七億円へと増加した。店舗数は一二八店(道内一二一、道外七)から一四五店(国内一四三、代理店一、海外支店一)を経て、一三七店(道内一三四、道外三)へ、従業員は二九七三人(うち職員組合員二六四六人)から三〇〇〇人(同二六五四人。ほか嘱託、臨時雇員及び海外の現地採用者計一六一人)を経て、二三七一人(同二〇五七人。ほか嘱託及び臨時従業員数九九九人)と推移している。資本金は一三〇億一三〇〇万円から増資を繰り返して十三年三月には九三五億二四〇〇万円となった。当期利益金(当期純利益)は四一億八〇〇〇万円から七二億四七〇〇万円を経て、七年度から十年度まで純損失を計上したが、十一年度にはプラスとなり、十二年度は六一億三四〇〇万円となった(道銀 各期有価証券報告書)。
 一時は拓銀との合併話が出た道銀だが、拓銀破綻後、道銀にも変革を促す大きな波が押し寄せていた。拓銀の預金は全額保護されているにもかかわらず、他の金融機関への預け替えが相次ぎ、道銀各支店にも来客が殺到するということもあったが、十一年三月期の自己資本比率が国内基準の四パーセントを下回ったため、同年五月、金融監督庁より業務改善命令が出された。しかし六月、優先株の発行を決め、募集を行ったところ主要取引先などの協力で五〇〇億円以上が集まり、自己資本比率は五・六八パーセント(同年九月期)まで回復した。十二年三月には無担保転換社債(劣後特約付)四五〇億三〇〇〇万円の発行による公的資金の導入を行った。また同時期、道内行の先陣を切ってキャッシュカードで買い物などの即時決済ができる「デビットカードサービス」を開始した(北海道銀行創立五十年のあゆみ)。十六年九月には北陸銀行と統合して「ほくほくホールディングス」が設立されている。
 北洋相互銀行は元年二月、普通銀行に転換し、商号を北洋銀行(NORTH PACIFIC BANK)に変更した。同行株式は同年十一月、東京証券取引所第二部に上場され、同三年九月、同第一部に上場(指定替)された。平成十年十一月、前年に破綻した拓銀の道内分の営業が譲渡された。それゆえ営業譲渡前後の相違についてもみる必要がある。
 さて預金は昭和六十一年三月末の九三八一億円(譲渡性預金を含む)から平成二年三月末の一兆二八四一億円を経て、九年度には一兆九〇六六億円へと増大し、拓銀からの営業譲渡後の十三年三月末は四兆九〇〇五億円となった。同様に貸出金は七二九三億円から九九七五億円を経て、一兆六七六八億円と増大し、三兆八一〇三億円となった。
 なお一店舗あたりおよび従業員一人あたりの平均残高を、拓銀からの営業譲渡前後の九年度と十年度で比較すると、一店舗あたり預金は一六一億二一〇〇万円から二二〇億七九〇〇万円へ、従業員一人あたりは一〇億九六〇〇万円から一九億八〇〇万円へと大きく伸張した。また一店舗あたり貸出金は一三七億四四〇〇万円から一六七億五八〇〇万円へ、従業員一人あたりは九億三五〇〇万円から一四億四八〇〇万円へと、これも大きく伸張し、営業譲渡によって劇的な生産性向上が図られたことがうかがえる。
 当期利益金は昭和六十一年三月末の一七億七四〇〇万円から平成二年三月末の二八億六八〇〇万円を経て、バブル崩壊後は減少傾向をたどり、拓銀からの営業譲渡前の九年度には一五億六〇〇〇万円にまで落ち込んでいたが、譲渡後の翌十年度には二八億五九〇〇万円と回復し、十三年三月末には六一億一六〇〇万円に増大している。資本金は四五億円から増資を重ねて、営業譲渡前の九年度は一二九億二一〇〇万円となっていたが、譲渡後の十年度には四九二億二三〇〇万円となり、十二年度末に至っている。店舗数は一〇二店から次第に増えて、九年度には一二二店となり、十年度には拓銀からの一〇九店が加わり一挙に二三一店となった。その後、店舗統合が進み、十二年度には二二一店(うち出張所一二、東京支店一)となっている。この間コンピュータ化の一層の進展により、顧客向け店舗外現金自動設備(CDおよびATM)は昭和六十年度の二六カ所から平成九年度には一五四カ所に急増し、翌年度には新設一八カ所に加えて拓銀からの二四九カ所も加わり、四二一カ所となった。平成十二年度には二一カ所が新設されたが一五カ所が廃止され、四三二カ所となっている。従業員数は二一八二人(うち職員組合員一六六四人、従業員組合員一四八人)から二年三月末には一九四二人(うち職員組合員一三九七人、労働組合員一二四人)となり、減少傾向の中で十年三月末には一八七四人、拓銀からの営業譲渡後の翌十一年三月末には三六〇九人(同二九八〇人、六五人)となったが、その後のリストラなどで次第に減少し、十三年三月末には三三七四人(同二七九一人、四七人)となっている。このほか臨時従業員がおり、常用従業員の減少傾向とは反対に、その平均数は十二年三月末の九二〇人から十三年三月末の一三四五人へと増えている(北洋銀 各期有価証券報告書)。
 北海道相互銀行は元年に普通銀行に転換し、商号を札幌銀行(SAPPORO BANK)に変更した。同十三年には北洋銀行と持ち株会社「札幌北洋ホールディングス」を共同設立し、現在に至っている。この間の業況を簡単にみると、預金は昭和六十年度末の四一二八億円(うち譲渡性預金一二二億円)から平成元年度末の五二九九億円(同一二七億円)を経て、十二年度末の八六三九億円へと増え、貸出金は同様に三三六一億円から四八六六億円を経て、六八五九億円へと伸びている。店舗数は六六店(道内六五、東京一)から七〇店(同六八、二)を経て、七一店(同七〇、東京事務所一)となった。従業員は一一七四人から一〇〇二人(期中平均)を経て、八七一人(期末、うち職員組合員六六八人、ほか嘱託、臨時従業員三三人)に減少した。資本金は二一億円から増資を経て六五億六七〇〇万円となり、当期利益金は六億七〇〇万円から一五億四八〇〇万円を経て、八億四〇〇〇万円へと推移した(札銀 各期有価証券報告書)。