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体育振興会とコミュニティ・スポーツの推進

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 「健康都市さっぽろ」以来、区の体育館整備は漸進していったが、それでも急速な市民の要望に応えるには限界があった。そこで、公共スポーツ施設の不足を補うべく学校開放が進められていく。とくに市では雪に閉ざされる期間が長いため、学校体育館の開放が急務となっていた。
 市の学校開放は、昭和四十三年東札幌小学校体育館、グラウンドをもってスタートする(プールの開放は昭46より)。期間は九月から一〇月にかけての一三日間、利用者は二五五名であった。また同年、学校開放の受け皿として東札幌体育振興会も発足している。同振興会は、一一の町内会、三二の職域団体、および身体障がい者の団体によって構成された(会員数一四二一一名)。これらは、全国的にみても早い取り組みであった。というのも、学校開放には学校の主たる設置目的である「学校教育に支障のない限り」(「学校教育法」八五条、「社会教育法」四四条、「スポーツ振興法」一三条)という前提があり、また住民の利用の仕方などの問題(利用ルールやマナー)もみられ、開放は思うように進まなかったからである。とくに学校側の管理責任は開放を消極的にさせる一因ともなっていた。そこで昭和五十一年六月二十六日文部省次官通達「学校体育施設開放事業の推進について」は、学校長の管理責任を免除(管理責任は教育委員会へ)し、これを梃子に学校開放事業の促進が目指されていった。
 市は、文部省から「地域住民スポーツ活動振興指定市町村設置事業」を受託する(昭49 これ以降の学校開放利用者数と体育振興会については図11参照のこと)。それは、地域住民の生活の中に、体育・スポーツを定着させ、健康・体力の増進を図るともに、現代にふさわしいコミュニティ活動の場を形成することを目的とするものであった。北区、東区がモデル地区に指定され、事業が行われた。その内容は、初心者を対象としたスポーツ教室(水泳、体操、卓球、スキー)、スポーツ行事、スポーツテスト会(壮年体力テスト)、スポーツグループ活動の育成援助(長期スポーツ教室の委嘱。地区婦人クラブの育成をめざした卓球教室)である。

図-11 学校開放(体育館)利用者数と体育振興会
札幌市市民局スポーツ部、および(財)スポーツ振興事業団資料より作成。

 学校開放のための管理運営体制が確立するのも昭和四十九年である。中央体育館内に管理センターが設置され(集中管理方式)、同時に小学校体育館を地域住民が管理する自主管理方式も導入された。またプールの開放は「父母と先生の会」によって管理するPTA管理方式がとられた。学校体育館の二つの管理方式による開放は、「札幌方式」と称されるようになる。
 全国的にみてもユニークな自主管理方式がとられた背景には、市民の地域的スポーツ組織の存在がある。地域の運動会やスポーツ活動を行う体育振興会は、町内会等を基盤に活動していた。例えば、第一回市民スポーツ賞を受賞したのは、地域でのスポーツ振興が評価された山鼻スポーツ振興会(昭38設立)であった。こうした体育振興会と称する地域団体には、他にも鉄東体育振興会(昭29設立)、平岸地区体育振興会(昭36設立)などが散見される。自主管理方式は、これら既存の地域スポーツ組織への学校開放委託事業としてなされた。それは、住民にとって定期的な場の確保と組織的な財源の安定につながるものであった。一方、市にとっても①管理の住民参加、②地域スポーツの推進、③経費の節減という点で利点があった。ただ、あくまで学校開放は体育振興会にとって手段であり、その設立の背景にはそれぞれの時期の地域課題があったことも付け加えておく必要がある。例えば、石山スポーツ振興会(昭42設立)の前身は『石山地区校外生活指導協議会』(昭33設立)であり、子どもたちの生活の健全化や非行防止を目的としていた。また、「もみじ台体育振興会」の設立(昭46)は、団地入居に伴う新たなコミュニティ形成が必要となったこととスポーツ愛好者の増加を背景としている。とくに、市域の拡大と団地造成によるコミュニティ形成といった地域課題のもと、新興住宅地域における体育振興会の結成が相次いでなされていったとみてよい。
 五十年代以降、「健康都市さっぽろ」を受け、体育振興会は各地で産声を上げることになる。そこには、体指や連合町内会役員、市行政の働きかけと尽力がある。五十八年から六十三年度にかけては、体育部体育課と保健部成人保健課が協力し、「健康・スポーツ振興モデル地区五年計画」も実施された。その目的は、「健康都市さっぽろ」にふさわしい健康・スポーツ振興の方策をもとめるため、モデル地区を指定(七区、七振興会)し、各種活動から得られた成果をもとに、市の健康・スポーツ振興に資することにあった。モデル地区で検討されたのは、地域でのスポーツ・レクリエーション、健康教育・健康管理の望ましい事業のあり方である。
 身近な小学校施設でスポーツに親しめる施設的条件が整えられつつあったが、同時に指導者不足も課題となっていた。市では、五十二年から地域スポーツ指導者養成講座を開始している。五十五年からはこれをスポーツカレッジと改称し、市民ニーズの高い水泳、卓球、バドミントン、バレーボール、軟式テニスを取り上げ、主として初心者指導を目的とした指導者養成を行った。両講座を修了した市民は、六三二名である。また、体育振興会等、地域スポーツ組織の運営に携わるリーダーを養成するため、平成三年から十三年にわたって地域スポーツリーダー養成講習会も開催された。ここでは、一八五の体育振興会や町内会役員、五三八名が研修を修了している。
 地域体育振興会による学校開放の自主管理、また振興会によるコミュニティ・スポーツの推進は、市のユニークな取り組みとして評価される。ただ、今日の体育振興会の多くが昭和五十年代半ばに設立されていることから、役員の高齢化や地域活動そのものの低下、住区の環境変化などによる組織的課題に直面しているものも少なくない。また住民のライフスタイルも多様化し、住民のスポーツ要求に十分に対応することが困難になってきている。加えて、平成四年度より導入された学校開放の有料化は、体育振興会の財政的基盤にも影響をもたらしてきている。
 十二年九月十三日に示された国の『スポーツ振興基本計画』は、地域住民が主体的に運営するスポーツクラブである「総合型地域スポーツクラブ」を平成二十二年までに全国各市町村に少なくとも一つは育成することを謳っている。地域住民が主体的に運営するという部分に照らせば、体育振興会の実践は、学校開放事業同様、先駆的な取り組みであったといえる。一方、体育振興会が内包する幾つかの課題は、総合型地域スポーツクラブづくりにむけて、先駆的であるがゆえの独自の課題ということができる。