この「御用留」の書かれた弘化4年、5年の、信濃国の出来事をみてみましょう。
弘化4年(1847)3月9日に、善光寺で御開帳がおこなわれました。同じ3月24日に、善光寺大地震がおきます。震源地は善光寺町付近で、マグニチュード7.4であったといいます。この大地震のため、善光寺西山地区で山崩れが発生し、とくに岩倉山の大崩落が犀川をせき止め、湛水湖をつくり、新町から下生坂(東筑摩郡生坂村)までが水に浸りました。
4月13日には、それが決壊し、善光寺平をおそい、1万8000人あまりが溺死する大被害となっています。
また、弘化4年には、松本藩が、品質向上のため、繭や糸取引への産物会所による統制を強化したり、刻み煙草の出荷仕法を再規定して、煙草商人仲間の統制をはかっています。
弘化5年(1848)2月28日まで、同日から嘉永元年)には、庄内組の小島村で、阿弥陀堂が再建されています。