同文二種あります。 1
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乍恐以
書付奉願上候口上之覚
一中山道
望月新町之儀、
本町ニ相続候
在所ニ御座候得共、
鹿曲川橋壱筋へ
たゝり申ニ付、別高ニ而罷有候、勿論
本町ニ引続候ニ付、加宿同前(然)ニ昼夜
往還御用相勤、御大名様方御往来之
節ハ、下宿等相勤申候、殊ニ
満水ニ而橋
落申候節者、上り之御家中様方相勤申候、
然所ニ去八月
満水ニ付、居家四拾七軒、
其外蔵・長屋等迄不残
流失仕、屋敷・
往還共ニ当時川筋と罷成、人馬ちりくくニ
退転仕、難義(儀)千万迷惑仕候、依之
御地頭様より度々御救表(俵)被下置、是迄
身命引続罷有候、此度
吉田久左衛門様
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御
見分被成下候節、川除之住(注)文差上ケ候
通御普請被為仰付被下置候ハヽ、難有
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奉存候、尤
本町より去冬江戸表江御普請
願ニ罷出候絵図表江も、
新町之
流失仕候
趣絵面ニ載り申候、此度御
見分之上川除
御普請被成下置候ハヽ、難有奉存候、
右奉願上候通り、以御慈悲御普請被為仰付
被下置候ハヽ、難有奉存候、以上、
信州中山道
望月新町名主
寛保三癸亥年三月 源右衛門 (印)
同所組頭 善 兵 衛(印)
同 作右衛門 (印)
百姓代 仲右衛門 (印)
道中御奉行
御役所様