[解説]

寛保二壬戌歳満水記
真田宝物館 降幡浩樹

 寛保2年(1742)7月、関東一円及び信濃を襲った大豪雨は、戌年にあたっていたため、戌年の満水とも呼ばれました。
 本書は、松代領内から報告された被害状況を城下、村別に整理した記録です。これによると、被害は領内188ヶ村に及び、水難の家2,914軒(内流失の家1,755軒、潰家857軒、半潰302軒、)、流死人1,220人(内男470人、女750人)、他に流死馬64匹。道路の抜落は延べ14里17町余。山抜け988ヶ所。流木9,218本。本・新田合わせて61,624石余という甚大な被害を受けました。
 筆者は松代藩士・原正盛です。原は寛文6年(1666)に生まれ、元禄年間(1688~1703)に信濃国絵図調整に携わり、享保10年(1725)の松本城請取にも功績がありました。寛保2年の災害当時は77歳でした。