[解説]

寛保二戌年満水御届書
真田宝物館 降幡浩樹

 寛保2年(1742)8月1日の水害による幕府への被害届。被害届は、松代城下と領内の二つに分けて行われました。本史料はそのうちの松代領内の被害届。日付は8月21日。
 被害の概要は、村数182箇村について損耗高6万1624石余で田3万750石余、畑3万869石余。用水被害3万3790間余、土手の被害1万480間余。道路被害3万6千140間余。山抜け988ヶ所。流失家屋1,733軒、潰家857軒。流死1,220人、流死馬51匹。流木9,200本余と幕府勘定所へ報告しました。
 松代藩では被害届と同時に、この年の国役金上納の翌年への延期と、無利子・長年賦返済の拝借金1万両の借り受け、災害復旧及び領民救済を行いました。
 同年冬には、幕府代官大草太郎左衛門らが千曲川流域の被害箇所の見分に訪れ、翌年にかけて国役普請が行われました。