『善光寺独案内』の特色の一つに、他の本にはない珍しい伝説をたくさん収録していることがあります。たとえば次のような伝説があります。
牛に引かれて善光寺参り
一般には小諸市の布引き観音(釈尊寺)の伝説として知られています。善光寺の境内でも、そのいわれを書いた絵入りの一枚刷りが売られていました。これに対して本書は、善光寺の周辺に全く別の「牛に引かれて善光寺参り」の伝説があったことを示しています。登場する人名や地名も具体的です。
弁慶ねじり柱
善光寺本堂の東向拝(ごはい)の柱で、一般には「地震柱」と呼ばれています。弘化4年(1847)の善光寺地震でねじれたと伝えられてきましたが、実際には十分に乾燥していない木材を用いたために生じたねじれだとされています。弁慶がねじったという伝説はまったく知られていません。
亡者塚
善光寺本堂前の護法石(山王塚と諸神塚)は、本堂を建立した際に使用した大工道具を埋めて、本堂の守りとしたものだとされています。その石にまつわる伝説です。死者は死の直後、いったん信州善光寺に参詣するという観念が全国的にあります。その場合、死者の枕元に供える枕飯は、死者が善光寺に参詣するための弁当だと言われます。紀州新宮(和歌山県新宮市)でもそのように信じられていたのでしょう。
善光寺の鐘
漢文で書かれた5巻本の善光寺縁起に、「竜女洪鐘献上之事」として、これとほぼ同様のことが書かれています。押鐘・返目といった地名の伝説にもなっていて、地元に密着した伝説であったことが分かります。
霧吹の獅子
明治24年の大火にまつわるこの伝説は、現在も知られています。それが明治30年の本書にすでにあることから、大火の直後から広まった話であるが分かります。この獅子は善光寺が創建された時、飛騨の荘作という者によって作られたという話は、荒唐無稽のようですが、寛慶寺の門が大勧進から移されたことは事実です。