この旅行記の興味深いのは、各地で学校長・教師や地元有志、住民が出迎えたり、宿舎に訪ねてきたり、差し入れしたりして一行を大歓迎していることです。
特に、8月2日に飯田に入ったところでは「飯田町に達せんとする時、宮下要太郎君も亦出て迎へて、共に飯田高等小学校に赴く。此地隊伍整列せる兵隊等の通過することなく珍しけれはにやあらん。至処来り見る者多かりしか、飯田市街に入れは、殊に途上観る者堵の如し。飯田学校には同校職員及び近隣諸校の校長訓導諸氏相集りて、歓迎せられ席既に定まり、氷及び茶菓の饗応あり。郡衙員地方有志の諸氏も亦之に加はりたりとか。」と述べています。
本書に登場する教師たちは次の通りです。
久米由太郎(同行)、清水菊太郎、保科百助、千野(貞光)、高橋(亨)、小林、三輪三吉、上條源一郎、中村惣太郎、北原琴三郎、春宮祐一郎、正木直太郎、赤身、倉科斧吉、小町谷加賀彦、丸岡鎌六、米山太郎吉、熊谷謹一、野村銀一郎、部奈格、一式範治、宮下要太郎、勅使河原、斎藤操、羽田貞義、高畠、鈴木正治、折居松若
ここに登場する教師たち、並びに修学旅行に参加し明治20年代後半に卒業した彼らこそ、草創期の信州教育を担った教育者で、『教育功労者列伝』、『長野師範人物史』、「信濃教育」等に多くその名を残しています。