『戸隠善光寺往来』は、文政5年(1822)に出版されました。同年に一九は、『伊勢参宮往来』も出版しています。この2作品は、いわば姉妹関係にあると言ってよい作品です。この年に出版された一九の往来物は、この2作だけです。
文政5年は、一九にとって記念すべき年でした。享和2年(1802)から21年間にわたって書き続けてきた『道中膝栗毛』『続膝栗毛』が、ついに完結したからです。江戸を出た弥次郎兵衛と喜多八の2人は、伊勢神宮に参詣し、四国の金毘羅から安芸(あき)の宮島まで足を延ばし、帰りに木曽路を通って善光寺に参詣し、ようやく江戸に帰着しました。2人の旅は伊勢参詣に始まり、善光寺参詣に終わったと言ってよいでしょう。『伊勢参宮往来』と『戸隠善光寺往来』の出版は、『道中膝栗毛』の総まとめであったとも言えるものでした。
それまでに、黄表紙、人情本、洒落本、滑稽本、読本など、すでにあらゆる出版を手がけてきた十返舎一九でしたが、文政5年の2種の往来物の出版は、一九を往来物の世界に引き入れるきっかけとなりました。翌文政6年になると、一九は大量に往来物を出版します。「英将義家往来」「栄達足利往来」「楠三代往来」「親族和合往来」「児女長成往来」「曽我往来」「万祥廻船往来」「万福百工往来」「勇略木曽往来」「勇烈新田往来」「弓勢為朝往来」「義経勇壮往来」「頼朝武功往来」「頼光山入往来」など、歴史上の武人を扱ったものを多く出版しています。表紙に、色刷りの絵を入れた大きな題簽(だいせん)(絵題簽)を貼ったものもたくさんあります。