26右
七町程相対して巷をなす、本陣横内氏が林泉佳景也、乱橋
迄壱里十二丁、此間立峠也、登り三十丁、下り十八丁の〓路なり、
北東に虚空蔵山見ゆる、則会田小次郎広政の古城地なり、
広政は海野幸継の二男にて、始は当国衆一味たり、小笠原の
籏下なりしが、武田家の鋒先強勢なるに依て、甲州へ降て十
騎の軍役たり、小笠原帰国の後、会田・青柳・麻績三家とも亡されたり、
○福寿山広田寺[宿はづれ右側に有、]此寺に会田小次部の位牌を納む、同石碑有、
(改頁)
本尊阿弥陀如来行基作、前立正観音最明寺殿作、
(略)
是より五丁行て、右側に弘法袈裟掛松とて一古松あり、奥に無量寺てふ
寺あり、又二丁行て、岩井堂村に弘法大師の古跡有リ、岩井堂といふ、立
峠の登り口なり、