[翻刻]

         上田海野町 松原晋蜂      1
                 (東山堂主人)
   天保飢饉 物価等記録
  天保飢愁  全
 
 
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  (改頁)
 
饉愁序
世の中ハ皆かげろふかちんぷんかん、と
一茶がいゝしもむべなるかな、一寸
先や闇の夜ニ礫をうつも心がら。
先の愁に気もつかず。或は三味線
笛大鼓うてやさわげも。ゆめのうち
 
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少の内に世の中も。ひつくり蛙の
つらに水。かけたるごとく縮り。空や
不食(くわず)も高野山香物大師ニ粥を
かて。やつとむぐつて。出たらめを
書たなんぞといわば言。などゝすね
るも筆の癖忍堪さんせ君子達
 
  (改頁)
 
奥をひらいて見給へねと。しかつ
べらしく言ものハ
   於□□理房の楼上に
    常田の城東 海野町住
         松原晋蜂
 
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飢饉集出ス
 せんの上ハ
  在りし昔と
   かわらねと
  米喰人のうちそ
       床しき
         空の屋まつ風
 
  (改頁)
 
    饉愁
夫(それ)人として一生の間に愁悦難苦なき
ものハなく、そか中にもきゝんほと
の大難ハなしと古人是を禁けれとも、
其難こと共知らざるもの多、中にハ其
うれひを見聞せしものにても、
のと元すきれバあつさとやらのたとへ
のことく、年月すくれば又なき
 
  (改頁)
 
ものゝ様におもひ、噺にきゝてもよそこと      5
にきゝなし、さのみ愁ともおもわす
有ものハ、呑喰ハ又来秋ハとれる物と
おもひ、其貯なき事をいとわす月日を
いたつらにすごすもの多き故ニ、天是を
禁(いましめ)給ふにや、去天明卯年飢饉、出羽
奥州ハ格別関東殊の外大飢饉ニて、
諸人こんきうせし事おびたゝしく、
 
  (改頁)
 
況や親兄弟にもわかれ、乞食非人と成、
終にハ餓死せしものゝ多、其かなしみ
言語尽しかたく 尤是ハ農諭といふ書物に委見へたり 夫ほとの
かなしみも年月すきれば忽にわす
れ、元の如くにおもひし族おゝく、農行
もおろそかになし、米穀麁末に取扱、
金銭のつかへもいとわず奢に長じ、我侭
に呑食ひし処、光陰ハ矢よりもはやく
 
  (改頁)      6
 
既に五十余年をへて、今天保四年
巳年とハなりにけり、然ル所夏中長しけ
にて秋作実のらず諸国飢饉、中ニも出羽
奥州信州ハ格別の凶作にて、諸作物ふじゆ
くなる故に、諸人一統難渋せし事あけて
かそへかたく、然中平せい思よから
さるものハ、乞食非人となりしもの多、
又餓死せしものゝ有て、諸々騒
 
  (改頁)
 
働大かたならす、誠諸民大困窮とハなり
にけり、しかれとも他国之事ハ、人の噺又ハ
手紙のおもてにてきゝし事故、こまや
かにハわかりかたけれとも、我すめる所
の慥ニ見聞せし事を爰にあけて、
後人の一助ともせんと拙筆に書つゞり
おきぬ、此年も前々の飢饉よりも
まさりたる事なれとも、此後申年の
 
  (改頁)      7
 
飢饉の事をしるさんか為にあらまし
を爰につゝり置ぬ、
  此節之穀相場
奥州仙台  金壱両ニ付 
白米三斗七升也
出羽秋田領 同     
同 四斗弐升也
 
  (改頁)
 
江戸    同     
白米弐斗九升也
大坂   白米壱石ニ付 
代銀百七拾六匁
信州上田  金壱両ニ付 
白米三斗四升也
     百文ニ付 四合五勺
     大麦九斗五升
 
  (改頁)      8
 
     小麦五斗五升
     大豆 八斗
     小豆 五斗弐升
   其外爰ニ略す
 
既ニ其年も暮て来午年ニ成けるに、順気
よろしく麦作も実法能、秋作十分ニとりて
諸人喜悦の思をなせしに、其翌年未
 
  (改頁)
 
年夏中雨降又かぜ有て作柄ふじゆく成
しか、格別之凶作といふ程も無故、左程にも
思さりし、然ル処、其冬寒気ハ強きけれとも
雪一向に降ず、からしミにて麦種しミ抜、
はい方あらくとして焼善き見苦き事
なりしか、来申年春ニ成ても寒気退兼、
漸々二月中旬頃より少し暖気催し、三月
四月至迄順気ニて、麦作も大躰ニハ実法しが、
 
  (改頁)      9
 
しミ抜し事故漸々半毛也、然ルニ五月中旬頃
より冷気ニて日々雨降続稲植付ならす、日お
くれして諸民是をなけくといゝとも雨ハ弥まし
降つゞき、六月下旬迄其内快晴之日ハ四五日も
稀ニして日々降続故ニ、稲も植付し侭にて
生長する事なく、七月ニ成ても出穂のけしき
なく、漸々七月下旬ニなり穂ハあらまし出
けれとも、毎日雨降続故ニ八月中旬ニなり
 
  (改頁)
 
ても穂ハそら乏し侭ニて実のらす、諸民の
なけきいふびやうもなく、日夜高山へ登りかゝり
火をたき、天気を祈事おひたゝしく、又所々
御大名様方、諸民のなけきを思やりたまへ、
御領分ねき山伏へ被仰付、日夜を別たす天
気を祈といゝとも其印もなく、終に九月
中旬ニ成しに其侭そら立て実法なく、所に
よりてハ少しハ実入しも有けれとも、常の米ニ
 
  (改頁)      10
 
違ひ酢味甘味ありて、風味殊の外相違せし
ものなり、如斯たる故ニ初てゆめのさめ
たるこゝちして、命あやうく成ければ、如何して
親妻子をもはごくミ、我命をつなくべきや、
日夜こゝろをくだくといゝとも其致方なく、況や
此時にいたりてハ、親類ゑんじやのものたり共、
壱粒の友救もなりかたく、我きなんをまぬ
がれへしと心を苦ると言共、日数過行ニ
 
  (改頁)
 
随ひ、壱粒壱銭の貯もつき、ほそき煙も立
かねて、終ニハ乞食非人と成、餓をぬかるべしと
村里をかけめくり、又ハ町家ニ至り食を
乞ふといへとも、是ほとの難渋なる事故ニ是を
施もの少く、二三日或は四五日之間壱飯もせざる
事故ニ足腰かなハず、行さまにたおれて
死するも有、或は餓にせまりて渕ニしづミ、又
谷に落て命を失ふもの□(おびたゞしく)、又ハ木の実草の
 
  (改頁)      11
 
根を食ひて其毒ニあたり、血を吐腹ふく
れて死せしものも有之となり、誠前代未聞
の事ともなり、況や四年間ニ三年の凶作たる故、
心有ものニても其貯つきて難渋せし事成に、
平常貢(ママ)窮ニくらすものハ、其餓をまぬかるゝ事
不能、きなんせしもことわりなり、誠古今
珍敷飢饉たる故ニ、諸人のなけきいうびやう
もなく、何卒して其命をつがん、其餓を
 
  (改頁)
 
しのがんと、或は山ニ登り又谷に下りて、
わらびの根をほり木の実をひろひ、又
女童ハ野ニ出て、夫食になるへきものと
きくときハ、何様なものたり共かり取、是を
夫食とし、終ニハ野も山も焼野ゝ如く取
あらし、又辺土の輩ハ犬猫までも食尽、
終にハ命を失ひしもの多しとなり、誠前代
未聞言語同断の事ともなり、夫より翌酉年
 
  (改頁)      12
 
之春になりて暖気催するに随ひ、所々
時疫悉流行し、前年之冬より米穀ハ
稀ニして、草根木実のたくひのミ夫食
として其命をつなきし故ニ、身も劣
心躰常ならざる処へ、時疫流行し其病
うくるものハ心躰爰にきわまりて、只必死
をまつばかり、たれあつて薬を求て能ふる
ものもなく、又食をすゝむるものなき故ニ
 
  (改頁)
 
餓を凌きて出しものも、又此病のために
命をうしのふもの□《おびたゞしく》、爰ニ我懇意なるものゝ
見聞せし事をきくに、房州舩方村といふハ
竃凡千軒ほとの大郷なるとかや、然ルに
海辺故ニ作物一向なく、只りやうしをなり
わひとしてくらしけるか、申年夏秋日夜
あらしはけ敷故ニりやう少く、そが故ニ金銭
不自由、ことに米穀高直なるニ仍て、前に
 
  (改頁)      13
 
あけし如く色々さま/\のものをくらへて、
心躰よわりし処へ、はからすも時疫流行して、
其病のためにかいらぬ旅に趣人多く、
二月下旬頃より五月迄凡千九百五拾人、
誠昔戦国之頃たりとも是ほとの事ハ
あるへからす、又上州吾妻郡大笹村ハ竃
百拾軒ほとの所ニて、命を失ひし人百六拾
七人、是ニつゝきて何れの村里ニても死人
 
  (改頁)
 
大かたならす、見る毎聞毎に身の毛もいよ
たち、只命を天にまかせてせうめつ
する事、あわれとも又おろかなり、何卒
此かなしみを忘れず、農業をはけ
まし、金銭のつういをいとなミ、米穀
大切ニ取扱、又何れニても食物ニなるへき物
を貯置ハ、其難をぬかるゝ事うたかへなし、
猶世の中ハあすをも知れぬ事故ニ、又いつ
 
  (改頁)      14
 
来るへきもはかりかたけれハ、随分ニ心を
用ひ、其貯致度ものなり、此かなしみを
眼前に見し故ニ、後の助と成へきがために、
慥ニ見聞せし事を揚て壱巻につゝり置ぬ、
此書を見給ふ其人は、何卒我心に随ひ、
農業を専らとして、五穀成就を祈念被致
しかば、国豊家内安全富貴万福ニた
かへなし、
 
  (改頁)
 
   此節之穀相場
奥州仙台  金壱両ニ付 
白米壱斗四升
同 棚倉 白米八升
出羽秋田 白米壱斗七升
江戸   白米壱斗九升
大坂   白米壱石ニ付代銀三百四十匁迄
信州上田 金壱両ニ付 白米壱斗六升  
 
  (改頁)      15
 
    百文ニ付弐合五勺
大麦 金壱両ニ付五斗
小麦 同    弐斗四升
大豆 同    四斗弐升
小豆 同    弐斗
ふすま  壱升八拾文
粉ぬか  壱升六十四文
   何れも是ニ順ず