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井楼(せいろう)式高櫓形鐘楼で、元和八年(一六二二)年に松代藩真田家初代藩主・真田信之が設置。寛永元(一六二四)年に火の見櫓とともに設置。その後三度の大火で焼け、現在の鐘楼は、享和元年(一八〇一)に再建されたもの。ここに足軽割番所があり、構内には火の見櫓と鐘楼があったが、現在は鐘楼のみを残す。割番所とは、足軽の番割り(仕事の割り当て)を定めた役所のこと。火の見櫓での火事の見張りは昼夜二時間交代、鐘楼でも昼夜の区別なく一時(いっとき=約二時間)ごとに鐘をつき、時刻を知らせた。ここはまた「日本電信発祥の地」。嘉永二年(一八四九)佐久間象山が、この鐘楼から御使者屋二階まで約六十メートルの電線を張り、日本最初の電信実験を成功させている。この時使われた電信装置と同種のものが、象山記念館に展示されている。